創るcollaboration 第ニ回コラボレーション企画
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孤高の一角獣(ユニコーン)

田村 みさき


(あなたといると、殊更(ことさら)に孤独を感じるの)
 ……手袋のなかが湿っていて不快だった。待ち時間に転寝(うたたね)をして、悪夢を見たようだ。
“一角獣”は手袋をつけたままの両てのひらを擦(す)り合わせて厭な寝汗を拭うと、シートから身を起こしてワイングラスを掲げた。赤い液体に見とれる風を装いながら、グラスの反射を利用して、座席の右斜め後方を窺(うかが)う。
 対象者(ターゲット)は毛布をかけ、呑気に惰眠を貪(むさぼ)っている。僅かな経費をケチって、ボディガードにエコノミーを取らせたのが運の尽きだ。搭乗時にボディチェックをおこなうから、機内は安全だという神話が、いまでも罷(まか)り通っていることに、“一角獣”は苦笑した。
“一角獣”は、裏世界では名の知れた殺し屋だった。どんな大物の対象者にも勇猛果敢に立ち向かい、確実に仕留める仕事ぶりから、彼には“一角獣”という通り名がつけられた。

“一角獣”は機内食で出されたテーブルナイフを右袖に仕込むと、左手に雑誌を携えて、席を立った。9.11同時多発テロ以降、プラスチック製が主流だったナイフも、数年前から金属製が再び使われ始めた。ありがたいことだ。
 読み終えた雑誌をラックに戻しに行くふりをして、対象者の脇を歩く。件(くだん)の男は恰幅のよい身体を窮屈そうに座席におさめ、高鼾をかいていた。開いた口から金歯が覗いている。
 ラックで雑誌を交換して引き返す。対象者の真横で雑誌を落とし、拾う仕草をしながら袖のナイフをスライドさせ、素早く振り上げた。左頸部(さけいぶ)と鎖骨の間に刃を垂直に、柄(つか)まで強く押しこむ。心臓まで20cm、絶対致死だ。
 ナイフを刺した状態のまま、毛布を首許までかけた。アイマスクをした対象者は熟睡しているように見える。これで着陸まで発見されないだろう。

 席に戻った“一角獣”の脳裡に声が蘇る。
(あなたといると、殊更に孤独を感じるの)
 嘗(かつ)て妻だった女性から発せられたことばだった。彼がまだ表の世界にいたころ、束の間の結婚生活を送った相手は、呟(つぶや)いたあと、唇の端(は)を無理に吊り上げて薄く笑った。そして声もなく大粒の涙を落とした。
 口下手だと自認して、彼は昔から寡黙だった。それを咎められた気がして、彼は憮然とした面持ちで、小さく溜息を吐いた。
 翌日、彼女は彼の許を去っていった。煢然(けいぜん)たる小柄な後ろ姿を、彼は無言で見送った。
 以来、彼は“一角獣”として生きている。暗殺者としての仕事には無駄口は必要ない。うってつけだった。
 しかし彼女の発言が、彼の心のなにがしかの機微に触れたのだろう。ときおり、彼女が夢に出てくるようになった。寝覚めの悪さは毎度のことである。
 ――孤独だからって、なにが悪い?
 半ば居直りに近い気持ちで“一角獣”は自嘲する。
 彼女の夢への登場頻度は、徐々に減ってきている。いつか『悪夢』を見ない日が来るだろう。そのとき自分はどうなっているか……。
 再びワイングラスを掲げ、赤い色を目で楽しんだあと、“一角獣”は液体を口に含んだ。そうして手袋を外すと、シートに背を預け、静かに瞼を閉じた。
(あなたといると、殊更に孤独を感じるの)
 彼女の声が耳朶(じだ)に触れる。
 もう夢の世界の入口だと“一角獣”は思う。
 そして『悪夢』を見ることで、生の実感を得られている自分を確認し、口許をほころばせた。





※煢然(けいぜん)……孤独なさま、たよりないさま。





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