創るcollaboration 第ニ回コラボレーション企画
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ペインティングナイフ

田村 みさき


 不思議な夢を見た。
 頭上に満天の星が瞬(まばた)くなか、鬱蒼(うっそう)とした森に若菜(わかな)は立っている。導かれるように下草を踏み分け奥に入ると、白い影が前方に見えた。近づくにつれ、影の全貌が明らかになる。それは純白の毛で覆われたユニコーンだった。
 引っ込み思案の若菜がユニコーンに触れたくなったのは、その生き物が身裡(みうち)から光を発していたからだ。おずおずとユニコーンに手を伸ばす。若菜がユニコーンを抱いているのに、若菜が抱(いだ)かれている錯覚に陥った。
 起きてからも奇妙な感覚が残っていた若菜は、ユニコーンをキャンバスに再現した。
 ゴーギャンのようにペインティングナイフで絵具を削り取る特殊な技法を用いた絵は、「神秘的なオーラを纏(まと)っている」と評価され、三科展(さんかてん)で入選を果たした。若菜は高校一年生にして衆目を集めた。
 若菜の絵を飾った店は繁盛した。噂が客を呼び、絵は描いた端(はし)から売れる。若菜は「ユニコーンに魅入られた処女」と呼ばれた。
 以来、十五年もの長きにわたり、若菜は第一線でユニコーンばかり描いている。

 高校時代から絵を要求された若菜は、青春を謳歌する余裕がないまま三十路を迎えた。デビュー直後についたマネージャーに雑事を一任し、対人恐怖症の若菜は外部と接触せず、絵だけを描いた。若菜には絵しかなかった。
 若菜は内気な少女だった。元来、人と会話をするのが苦手で、物心ついたときからキャンバスが友だちだった。
 父親ほどの年齢のマネージャーが退職し、新たに雇い入れた康則(やすのり)は、自分と二つしか歳が違わないのに、若菜には眩しく映った。清潔感が漂う康則に、うぶな若菜は一目惚れした。康則に話しかけられると心が浮き立つ。
 若菜が康則に身体を許すまで、時間はかからなかった。翌朝若菜が目覚めると、入賞作の絵と金と共に、康則の姿はなかった。
 消えたのはそればかりではない。若菜の描くユニコーンから神秘的なオーラが消失したのが、素人目にも判った。若菜は恋をしたせいで、ユニコーンに愛想を尽かされたのだ。
 絵を描く以外の楽しみを知らずに生きてきた若菜は絶望し、アトリエでペインティングナイフを使って手首を切った。

 若菜の死を報じるニュースを、康則はベッドに横たわったまま聞いた。軽くせせら笑う。
 若菜を誑(たぶら)かすなど朝飯前だった。初対面で康則を見て赤面した若菜を思い出す。気弱な女だから、持ち逃げされても泣き寝入りするという読みが当たった。想像以上の現金が金庫に入っていたのも嬉しい。
 上半身を起こしてテレビの電源を消すと、康則は壁にかけた絵を見る。若菜が賞を獲得したユニコーンは、穏やかな目を星空に向けていた。この絵はいい……画家が亡くなったとなると、更に高値がつくだろう。康則は満足げな吐息を洩らすと、鼻唄混じりでブランデーグラスを手に取った。
 液体を飲んで再度絵に視線を投げた康則は、小さく唸る。ユニコーンの目が光ったように見えた。確か上を向いていた筈……康則が考えていると、ユニコーンは徐々に大きくなった。柔和だった表情は、憤怒(ふんぬ)のそれに激変している。
 絵から飛び出してきたユニコーンは、額の中央に生えた角を、康則の胸に突き刺した。
 ――若菜を守るユニコーンに、俺は復讐されたのだな。
 意識が遠のく康則の耳に、ベッドを共にした女が使うシャワーの音が、微かに聞こえた。





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