015
テレビがウチに来た日
伊東 香代子
今年の残暑は格別であった。
家族達から『鉄よりも強い体』と絶賛されていた私だったが老年期に入ると、今年の暑さはこたえた。 彼岸の三週間前になると、子供の様に扁桃腺を腫らして三十九度の熱を出し、青菜に塩状態の私であった。
「病は気から」とはよく言ったものだ。
心が落ち込んでいくが、風邪薬のお陰で睡睡魔が襲ってきた。
私は睡魔の導きで夢の世界に入り込んだ。
亡くなった祖母と現在の私は、我が家の居間で仲良く、テレビを見ていた。
私は、祖母の好物だった冷えた麦茶を取りに台所に行き、戻ってみると、居間の扉の前で、はっとした。私を愛(いつく)しみ、育ててくれた伯父や叔母達が、祖母を取り囲みテレビを楽しんでいる。
私は驚いて夢から覚めた。
天井の木目を見詰めて、まだしっかり目覚めていない脳裏をフル回転させてみた。
約五十五年前に同じ経験をしていたのだ。
福岡県八幡市〈現在:北九州市八幡西区、東区〉は高度成長の波に乗り、活気に漲(みなぎ)っていた。人々の生活が裕福になり、町一番のアーケ―ド商店街には、電気店が犇(ひしめ)きあって、各店では呼び込み屋が競いあっていた。
商店街は悲しいかな、今は廃墟である。
祖母を筆頭に私の親族は『新(あたら)しもん好き』であった。
祖母は老人会の帰りに、商店街に寄り、各家電メーカーのパンフレットを持ち帰った。その日の夕食後、テレビ選びの検討会となり、大人も子供達も大賑わいしたのを思い出す。
テレビを客間の座敷に置くと決定すると、毎日、伯母達は客間の掃除に励んだ。
待ちに待ったテレビは座敷の床の間に置かれた。テレビには、小豆(あずき)色のコールテンの幕の裾(すそ)には黄金色の縁飾りがあった。
その日は誰の誕生日でもないのに、ちらし寿司とカステラが座敷の座卓を飾った。
食後、叔父が上機嫌で、スィツチを入れた。祖母が一番に拍手をすると、皆もそれに習い夢中で拍手した。
幼心にワクワク、ドキドキして、顔を紅潮させた自分がそこに居た。
NHKのニュース番組が流れ出すと歓声が上がった。私は小躍(こおど)りして親戚を出迎えた。
テレビには、偉大な力があった。
伯父の帰宅時間が早くなり叔母を喜ばせた。
子供達は、宿題を早く済ませて、ルンルンで家事の手伝いに励んだ。
祖母の老人会の仲間達は、テレビを見に、手土産を提げて日参(にっさん)した。
家電会社の下落を知ると天国の祖母や伯父達は、「頑張らんかい!」と激怒するだろう。
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