創るcollaboration 第三回コラボレーション企画
016

渡されたバトンの行方

西森 郁代


 結婚する時、「嫁入り道具に家電はいらない」と言われた。
 今から35年前、私が25歳の時だ。
『長男の嫁で、同居なのだから、必要ない』というのが理由だった。私の嫁入り支度に注文をつけたのだ。姑がそう言っていると聞いたとき、『舅姑(ちちはは)と一緒に暮らすんだなあ』と改めて思ったものだ。
 うまくやっていけるだろうかと、不安だった気持ちを思い出す。

 婚家はやはり他人の家、そこにあった家電は、自分の物ではないという意識が強かった。
 冷蔵庫を開けるのも気が引けたし、洗濯機も姑が使っていない時間に使った。使わせてもらっているという気持ちだった。
 台所にも居間にも私の居場所はなく、寝起きしていた離れの一室にいる時だけ、心が安らいだ。
 結婚して9年経った時、家を新築した。9年の間に舅が亡くなり、義弟(おとうと)は結婚して家を出ていた。
 姑とつれあいと私の3人の家だ。
 姑も費用を出してくれたが、長期ローンを組み、ほとんどの費用は私達夫婦が工面した。

 新しい家に引っ越しする時、すべての家電を買い揃えた。私好みの色と型、配置も私達夫婦が決めた。
 冷蔵庫を自由に開け、物を出し入れし、好きな時間に洗濯する事ができた。
 仕事から帰ると、真っ先に冷蔵庫を開け、冷茶を飲む。一年中冷茶だった。飲むと、家に帰ってきたと思えるのだ。それから家事にとりかかる。
 これが、勤め人から家庭の主婦への切り替えスイッチだったのだ。
 真っ白な2ドアーの冷蔵庫。
 以前に使っていたのは小型だったから、大型冷蔵庫は嬉しかった。

 新しい家と、新しい家電に馴染み暮らしていくうちに、少しずつ姑と私の立場が、変わってきたように感じた。姑は『本家(ほんけ)の姉さん』として一目置かれていたし、あいかわらず厳しい人だったが、私の発言や意向が通るようになった。
 私の居場所は、離れから本家(ほんや)になり、姑は2階の奥の和室にいる事が多くなった。

 この頃、一家の主婦のバトンが、姑から私に渡されたのだと思う。
 私はつれあいと相談して、姑の部屋に専用の家電を揃えた。かつて、冷蔵庫を開けるのも遠慮した事を忘れていなかったからだ。自由に使ってほしかったのだ。
 何年か後、姑が認知症になり、冷蔵庫に様々な物が詰め込まれていたのを見た時は、言葉が出なかった。
 今の冷蔵庫は3台目だ。濃紺の5ドアー。
 2台目よりさらに大型だ。5人家族の時は、小型で、2人暮らしの今は大型だ。可笑しなものだと思う。
 しかし、5ドアーの冷蔵庫は、姑から渡されたバトンの証だ。そのバトンを私はまだ持ったままだ。

 一人暮らしの娘のアパートには、彼女が買い揃えた家電がある。仕事も県外だし、おそらく結婚もそうだろう。
 持ったままのバトンは、どうなるのだろう。
 まあ、なるようになるだけだ。
 受け取ったバトンだが、次に渡さなくてもいいのだと思う。

 仕事を辞めた私は、もう冷蔵庫を開け、勤め人から主婦への切り替えスイッチを入れる必要もなくなった。




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