創るcollaboration
青希 佳音

青希 佳音
1938年生まれ

011

《エッセイ》

盗人(ぬすびと)

 中々信じて貰えないのだが、私は幼い時、引っ込み思案で、自分から前に出る事は出来なく、幼稚園を中退した位だ。
 人の輪に入りたくても入って行けない。手招きして貰えるまで、指をくわえて待っている性質(たち)だった。
 依頼心が強く出来る事なら、誰かに寄りかかっていたい。
 だから、通信教育と言うのは成功した試しがない。誰か横に付いて指導して欲しいと思うのだ。又、方向音痴ときているので、初めての所を自分で探しながら訪ねて行くのは大の苦手である。
 76歳になった今も、その基本の所は少しも変っていない。

 その依頼心の強い私を、いつも突きはねて、寄り掛からせてくれなかった主人のお陰で、少しは自立できる様になった。
 車の運転しかり、人を当てにしない習慣が少しはついた様に思う。時にはそんな主人を恨んだり、憎んだりしたものだが、今は「お蔭様で」と言う思いになっている。
「あてにするから腹がたつ」を、座右の銘にしている。

 関西には『いっちょかみ』と言う面白い言葉がある。何でも首を突っ込む。要は気が多い事である。
 私の場合、お稽古事は何でもやってみたい。あれもこれもと手を出したい。だから、今も、絵、シャンソン、書、速読、ピアノ、文章教室と忙しい。
 一つの事を貫いていたなら、76歳にもなった今、何か人に教える事ぐらいは出来ただろうに。あっちこっち手を出しすぎて、どれもこれも、趣味の域を出ない。

 友人の中に、とても話が上手く、中々説得力もあり、人を惹き付ける人がいる。そんな能力を羨ましいと思う。
 話が下手と言う事は、自分も歯がゆい事だが、相手の人にも迷惑をかけている事になる。回りくどい言い方や「一体何を言いたいの?」と思わす事は、人の時間を盗んでいる事になると思う。
 そこで私はせめて何か一つでも自分の気持ちを伝える方法を、文章を書くと言う事に求めたのだ。

 文章を書くことができるようになれば、少し時間を頂ければ、言いたい事を整理して、伝える事の訓練が出来ると考えたのだ。
 そう簡単には行かないが、少なくとも書くと言う事に億劫さはない。電話より、葉書、手紙、メールと痕跡を残せるのも気に入っている。

 電話ほど傍若無人に人の時間を盗むものはないと思うのは、私だけだろうか。





■ 第4回コンテンツに戻る ■



第一回CONTENTS
第二回CONTENTS
第三回CONTENTS
第四回CONTENTS
第五回CONTENTS