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田村 みさき

田村 みさき
1971年生まれ

014

《エッセイ》

朱を入れる

 私は現在、四十代前半の主婦である。
 独身時代は進学塾や予備校で教壇に立っていたのだが、結婚を機に一線から退いた。塾業界に勤めていると世間と生活の時間帯が異なり、困ることが多かったからだ。

 塾は常に副次的な存在である。
 生徒にとっては「まず学校ありき」で、塾は学校が終わってから足を運ぶ場所だ。だから普段塾での授業は夕方以降から夜にかけてとなる。

 勤務していた塾には、小学一年から高校三年までの生徒が通っていた。
 私は昼過ぎに出勤し、午前二時、三時に帰宅する。私は毎日きちっとしたスーツを着て通勤していたのに、住んでいたマンションの家主さんや新聞配達員からは、ホステスの仕事に就いていると誤解されていた。
 毎週土日にはテスト実施や入塾を検討している保護者への塾説明会のイベントがあり、また夏休みなど学校が休みの期間になると、朝から出勤になる。勤務時間が変わる仕事を続けていると、体調を崩しそうになった。それで、入籍を機に教壇からおりたのだ。
 いまは在宅で、塾専用の教材やテスト作成の仕事をしている。

 塾では年に一度「合格体験記」なる冊子を作成する。中高生は大抵学生本人が執筆するが、中学受験を経験した小学生の場合は、本人と共に親御さんも体験記を寄せてくれる。
 私は校正の資格を持っているので、年に一度この体験記の校正依頼が舞い込んでくる。これがなかなか厄介な代物なのだ。
 発行された体験記を読む人は、主に入塾を検討している保護者である。一方でその体験記を書いた人は「どっぷり塾生活に浸った」立場の人間だ。
 ここに差異・祖語がおのずと生じてくる。

 塾に通った人なら知る語彙(ごい)を、その世界を知らない人に判りやすく言い換える作業が発生する。
 例えば「電話帳」ということばは、一般的にはNTTが配布するタウンページを指すが、塾講師の間では、教学研究社が発行する『全国・国私立中学入試問題集』という、中学入試の過去問題集を指して「電話帳」と呼ぶ。厚みがタウンページとほぼ同じであることからそう呼び始めたのだが、それがいつしか保護者の間でも浸透してしまった。
「うちの子にも電話帳を買い与えて、解かせていました」……塾に通っていない外部の人間からしたら、ちんぷんかんぷんの内容であろう。電話帳という表記を、正式な問題集の名称に置き換えなければ通じない。
 ある私立中学の特進クラスを第一希望に据えて受験した子がいるとする。特進クラスの水準には達していない場合、特進での合格はできないが、標準クラスで合格できることを「(標準クラスへの)回し合格」と言う。
 講師間では判りやすい業界用語なので、裏では使っていたが、決して職員以外の耳には入れないように、充分に注意を払っていた。
 というのも、これを実際に言葉にして発すると「○子がまわされた」→「輪姦された」という連想を抱いてしまう虞(おそれ)がある。誤解を招きかねない表現なのだ。
 過分なまでに留意していても、保護者も聞きかじって体験記に使用している。「うちの子はまわされてしまいましたが、毎日満足げに学校に通っています」……これも加筆訂正しないと、入試のシステムを知らない入塾検討者が読んだときに、とんでもない塾だと糾弾されそうになる。

 そればかりではない。文章を書くのに慣れていない素人の保護者は、往往にして「主語を省く」のだ。
 親御さんからしたら、大事なわが子と共に自らも入試の日々に奮闘した経験が蘇って、書いているうちに自然と熱がこもるのだろう。
 中学入試の体験記には、毎年力作が集まるのだが「子どもの動作なのか、親御さんである執筆者の動作なのかが判らない」文章がてんこもりである。
 おおよそは前後の文脈から想像し、それでもどうしても判らない場合にはご本人(保護者)に確認して訂正作業をする。

 朱入れの仕事をしているうちに「端的に相手に伝わる文章を書く方法」について、考えるようになった。
 自分のことを全く知らない相手に、言いたいことを伝えるように書く作業は、意識しないと身につかないスキルである。書くことが好きなだけでは務まらない。

 私が現在通っている文章教室では、エッセイでもフィクションでも、原稿用紙三枚以内という規約がある。
 毎回、規定字数にあわせて「書いた内容を削る作業」が発生する。削っても内容が通じるよう取捨選択するのは実に難しい。
 遣り甲斐があり、鍛えられていると感じる。





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