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橋本 都紀子

橋本 都紀子
1949年生まれ

016

《エッセイ》

昨日、今日、明日

 昭和二十四年六月、摂津、丹波の境に清流を発した猪名川の支流に私は生まれた。
 戦後間もない田舎の風景は、今なおそのまま残っているところもあるが、大阪から一時間程の立地で、大きな団地などが彼方此方に出来、随分様変わりしてしまった。
 私の生家も今は住む者もなく、跡取りの私たちが管理している状況である。今住んでいる池田市から車で二十分ほどの距離でもあるので、週に二回は訪れ、野菜や花を作っている。さすがに山深く、冬の寒さは厳しいが、春と秋は心が和む景色が私を迎えてくれる。

 今、六十四歳の年を重ね、しみじみとこの風景を眺めながら、そこはかとなく私が感じるものは、昨日の私であり、今日の私、そして明日の私であると、言う思いである。
 もうあと何年生きるだろうか、それは明日が最後かもしれないと、自分に問いかけた時の答えは白紙である。

 十五、六歳のころからつけていた日記は今手元にない。結婚する時に、余りにも感傷的すぎる自分が恥ずかしく、処分してしまった。今となっては後悔して、当時書いてあった事を何とか思い出そうとするが、その時の記憶をまるで取り戻すことは出来ない。
 けれども、記憶に残るわずかな糸をたどってみた時、何とも言えない幸せな、微笑ましい場面にたどり着くことがある。
 二十代の学生時代、顔などはっきりと思い出せないが、彼氏とハイキングに行って、すがすがしい気分を味わっている自分を発見し、そして少し落胆する。「何故、彼との付き合いが終わってしまったのか?」私の青春時代の記憶のひとコマが欠けているような寂しさを痛感した。

 子供たちが中学生になり、少しは心の余裕ができ始めたころ、私は再び日記をつけ始めた。
 今度は十年日記と言うもので、一日五行しかなく、ほぼ記録のようなものである。わずか五行の記録の中には私の人生の過程があり、想像を広げる基がある。これから先、その一行一行を紐解き、広げながら、静かに人生を重ねていきたいと願っている。

 つたない筆力ではあるが、昨年は自分のエッセイ集を出した。失敗は多々あったが、「今度こそはもっとよいエッセイ集を出したい」と、また思ったりもしている。
 エッセイのみならず、フイクションの世界で遊ぶ喜びも、文章教室のお蔭で少しは分かり始めてきた。

 欲張らず、焦らず、私の故郷の光景を基調に、命尽きるまで私は書き続けていきたいと、願っている。そして、こんどはどんな苦しみや、悲しみに遭遇しても、自分の記録として大切にしていきたいと思っている。
 十年日記も来年から三冊目に入ろうとしている。





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