骨までしゃぶる
青希 佳音
長女は50年前に生まれた。
東京オリンピックの年の若葉の季節5月だった。
四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになれると言われていた事もあって、もっと幸せになって欲しいとの願いをこめて
『五葉(いつは)』と名づけた。
3歳の七五三の時「(注1)四つ身」と言われる晴れ着を着せた。当時の生活振りには、ちょっと贅沢な着物だった。
水色地にピンクや赤の梅の花、御所車や緑の松の柄。その間を小さな花がはめ込まれた亀甲型がいい塩梅に散りばめられてあって、中々お洒落な着物だった。
子供の手を繋ぎながらも、親として誇らしさを感じたものだった。
五葉も今や3人の母となっている。
七五三のあの日の事が、ついこの間の様に思えるが、月日の経つのは早いものだ。
あの五葉の着物を、新しい家を建てた時に、打ちっ放しのグレーの壁に、タペストリーとして飾った。
壁の色に映え、お客さんが来られる度に
「これは?」と訊ねられ、
「娘の着物です」と答える事で、お客さんもご自分の昔とオーバーラップするらしく、会話が弾んだものだった。
年数が経てばタペストリーにしていた着物も、陽に焼け出してきた。
これは〝まずい〟と、思って今度は服に仕立て直した。薄い水色の(注2)サテン地で、シャツスタイルのデザインにした。
その上に五葉の着物から、梅や松の柄を切り取り、シャツの前身頃や、後身頃に貼り付けた。
出来上がりは上々。結構豪華なシャツに出来上がった。
時々電車の中等で
「それは、着物地ですか?」と訊ねられたりする。
出来合いではなく、リメイクしたものだけに、ちょっと誇らしく感じる。
今はレンタルと言う便利なシステムがあり、着物に対する執着もなくなって来ているのだろうが、私は日本の着物と言うものに捨てがたい愛着を感じる。
骨までしゃぶった五葉の着物は、きっと喜んでくれているのだろうな。
(注1)七才女児七五三の衣装について
5~10才ぐらいの子供が着る着物を四つ身といいます。前身頃をつまみ縫いして衽(おくみ)を作ります。 身丈の4倍分の要尺で身頃が取れることからこの名前があります。
ちなみに、赤ちゃん用の着物を一つ身、三才前後を三つ身、成人用を本裁ちの着物と呼びます。
(注2)サテン
繻子織(しゅすおり)と言って非常に光沢のある布。摩擦には弱いが、ドレス等作るのには適しています。