創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
002

世は滅相なことばかり

大垣 とし



 インターネットで日本の島根県にある三瓶山(さんぺいざん)の頂上に建つ同愛神社(どうあいじんじゃ)が世界に公開された。
 西暦二千年に入ってからの事である。
 発信者は蜚宮成人(ごきみやなるひと)といい、祖神“蜚蘇神(ごきそしん)”をまつ祀る神社の二十一代目神主(かんぬし)である。
 社(やしろ)に伝わる古文書に目を通すうちに、祖神が蜚蠊(ごきぶり)で、面白い事に人間を愛そうとしたことがわかった。
 及(およ)びも付かないこの話を公開しようと決めたのだった。
 その結果今や、十月の一ヶ月間は祖神像の開帳と、祖神に纏(まつ)わる由来を聴くために、国際色豊かな人々で賑わっている。
 この神社に集まる人々は、必ず男同士のカップルであり、特殊な雰囲気を持っているのが特徴であった。

 平成二十三年十月一日、今年もいよいよその日は始まった。神主は銀糸を織り込んだ布で作った羽織は新調したが、毎年同じ話を繰り返している。
「えー、皆さん、毎年のお出まし有り難うございます」
 日焼けした顔は油を塗ったような光沢があり、扁平楕円形の顔は一風変わっている。毎年同じ話の筈なのだが、新鮮に聞こえるから不思議なのだ。
「ご承知の通り、神社は平安時代からこの地に建っておりました。時代と共に信仰も遠退(とおの)き、社(やしろ)は崩れかけ“山ごきぶり”の住処(すみか)となっていたのですが、その中に長生きしている長老のごきぶりがおりまして、社の再建を日夜願って止まないのでありました」
 神主の口調はここから熱が入ってきて、机を扇子(せんす)でポンと打ち、話を続けた。
「思いは通じるものですなあ。大昔から出雲大社(いずものおおやしろ)に十月、全国から神々が集会する慣(なら)わしがありましてね。集会の案内状が、今や名も無いこの神社にも舞い込んできたのですよ」
 神主は顔を突出しニタリと口元を歪(ゆが)め、
「長老にチャンスが到来です! その上、新しく神希望者も募集。これは打って付けです。早速長い触角の先に力を込め、一字一字丁寧に、希望名《蜚蘇神(ごきそしん)》と記して出したのです。後は出雲に出席し、大国主命(おおくにぬしのみこと)から許可をもらうわけですが、出席する前から気持ちはすでに“蜚蘇神(ごきそしん)”。触角の先で動かし方を変えてみたりと無理をして、オンボロ社のあちこちに触角が突き刺さり、大変だったらしいのです。が、私はその気持ちがよくわかりますなあー」
 感慨深げに神主は云って又話し始めた。
「出雲大社で“蜚蘇神(ごきそしん)”として認められましたよ。すると不思議なことです。長老の体は人間でもなく、ごきぶりでもなく、摩訶不思議な魅力が溢れてまいりましてね。気分はすぐさま社再建の意欲に移ったのでありました」
 次の話の始まりの前に茶を一口飲み、再び、
「さあそこからです。“蜚蘇神(ごきそしん)”は社に犇(ひしめ)き合っていたごきぶりを神通力で貨幣に変え、再建に必要な物品を求める資金としたのです。が、宮大工など人材選びには好みが強く、是が非でも通したい面がありました」
 神主は口を窄(すぼ)め、忙(せわ)しく茶を啜(すす)ると、
「神主となっても色欲は変わらんらしいのですな。と云っても以前通りだと気も咎(とが)めます。そこで神は、玄妙幽艶でその上、腕の優れた青年大工を側に置き、慈(いつく)しんでいきたい。とかように……」
 神主自身は恥ずかしそうに頭を擦りながら云ったが、会場からは“ホォォ!”と云う声と一緒に拍手が沸いた。すると神主は大きく目を開き、
「そうです。皆様方だって男らしく力あれど、何処(どこ)か可憐な趣(おもむき)を残し、奥ゆかしさもございましょう?」
 と、神の条件を含ませ、問い掛けるように話すのだった。そして続けて。
「神通力を使ったのでしょうかね! 数日も経たないで神の条件に合った風貌を満たす、二十七歳の青年“宮部組人(みやべくみひと)”を連れてきたのです。
 その夜の月は満ちて雲も無く、神の心は早くも逸(はや)りましたよ。でもここは神らしく、組人の一束ねにした黒髪にそっと手を添え、目を細めて慈(いつく)しみながら、耳元で優しく囁きました。
《組人よ、我は蜚蘇神(ごきそしん)でありながら、其方(そち)が愛(いと)おしい。末長く共に暮らしたい。それ故、社を新しく再建したい。頼んだぞ。社造(やしろつくり)の条件は直接の光でなく、厳(おごそ)かさ重視で、薄暗さの中にこそ浮かぶ美しさ。よいな》
 蜚蘇神様のこのセンスの良さ。頭が下がります」
 神主は一人で納得し、頭を上下に振った。
「えー、一方、宮部組人はこのように艶(なま)めいた言葉を受けたことが無く、一瞬、大層驚きました。が嬉しく、又心地良く受けている自分にも驚き、神の御心を有り難く思うのでありました」
 次の言葉に移る時、神主は心なしか俯(うつむ)いて話し出した。
「神と共に暮らし、月日も経ち、社の建築も組人(くみひと)の統率力で恙無(つつがな)く運んでおりました。ところがですなぁ、ある時、ふと組人は神の愛を一方的に受けているのみの自分に気が付いたのです。そうしてですね。その日を境に自分の心の声にも耳を傾ける事が多くなりましてね。とうとう神は、気付かれたのですよ」
 神主は咳払い二つで間を置き、再び、
「神は組人に“何か思い煩(わずら)っている節(ふし)があるのか?”と訊ねました。すると組人は、最近もう少し近くに心が許せる人が欲しいと思っておりましたので、思いつきで祝詞(のりと)つくりも同時に進行さす必要性を伝えたのであります。  するとですなあ、神は組人の考えにいたく喜ばれて“お前に委(ゆだ)ねる”と仰(おっしゃ)いました」  神主は休む間もなく言葉を続けた。 「組人は以前、出雲大社(いずものおおやしろ)の別棟造築(べつむねぞうちく)の際にも一緒に仕事をした“末広説成(すえひろせつなり)”に好感を持っておりました。二十五歳にして言葉作りにかけるひたすらな姿と、彼の一点を見つめている折の眼差(まなざ)しが忘れられなかったのであります。早速彼に声をかけたのでした」
 そして眉をひそめ、同情するかのように、
「蜚蘇神(ごきそしん)様もまさかこの人物が組人(くみひと)の好みだったとは全く気が付かなかったのであります。
 安心して、二人に全てを任せました」
 話も佳境に入り、聴衆も神主の言葉と、一挙一動の振る舞いに引き込まれていた。
「組人の心中(しんちゅう)などまだ知らなかった説成(せつなり)は、神の御心通りの社に相応(ふさわ)しい祝詞(のりと)をつくろうと日夜励んでおりました。一方で組人はゆっくりと自分の心中を説成に明かす時もなく、日を追って増す想いに悶々(もんもん)としていたのであります」
 神主は、最初長老が神となるチャンスを与えられた時とは違いしんみりとして話す出すのだった。
「皆さん、組人にチャンスが来たのですよ又と無い告白のチャンス。神が出雲大社での集会に出向く日が来たのです」
 自分の感情ばかりを出してはならぬと気が付いたのか、神主は聴衆に問い掛けるように、
「皆さんは、どのようなチャンスで巡り合われたのですかな?」
 と笑みを浮かべて云った。
 少し自分を落ち着かせようと目を伏せ、気を取り直して話し出した。
「神は一ヶ月後に二人の力で指示通りの社が出来上がっているものと信じ、三瓶山(さんぺいざん)を降り、出雲へと向かったのでありました。
 この後の事は皆様もご想像出来ると思います。早速、組人は説成が三瓶山に来た日から心は説成の傍にあり、この日をどんなに待ち侘(わ)びた事か、と胸の内を打ち明けました。
 するとですね。説成は感受性が豊かですから、組人の気持ちは早くからわかっていて、今や同様にこの日を待っていたのです。やはり人間同士です。全て通じる心に時間など必要なく……」
 と云った神主は、
「皆さんはいかがでしたか?」
 と又、冗談を交えた。
 しかし会場の聴衆は、神主の心なしか淋しげな表情に、なぜか不思議な気分になるのだった。
「皆さん、まるで堤防が決壊した勢いで、熱いものが二人の間に流れ出したのですよ。今までとは異なる、静から動の美へ。変化は至る所に表現され、つくり出されたものには、ある種の色気さえ醸(かも)し出しているのでした。当然、祝詞(のりと)も交わす言葉そのままが浮き彫りになっておりました」
 会場の目は一斉に祝詞の文章に移動した。
 額の中には愛し合う者同士の澄み切った、飾らぬ言葉が記され、一句一句に奥床(おくゆか)しさも含み、読む人の心を素直にした。
 神主は衿を正し、自分を諭(さと)すかのような口調で話し出した。
「出雲から帰って社の出来上がりを見た神の驚き、皆さん想像して下さい。実際、一時(いっとき)は二人の存在を恨めしく思った程でした。残念で情けなく、言葉もなかったのです。がふと、神は自分が元ごきぶりの長老の身であった事。暫(しばら)くの間でも神として認められ、社を無事再建出来たので、これで役目は終えたのだ。と自分に云いきかせ、姿を消されたのであります」
 最後、神主は神を敬(うやま)った言葉で話し、目にはうっすらと涙が溜まっていた。
 結びの言葉は声を強め、
「現在のこの社は“蜚蘇神(ごきそしん)様”と組人(くみひと)、説成(せつなり)の愛の賜物(たまもの)であります。組人、説成の二人は“蜚蘇神”を祖神(そしん)として祀(まつ)り、社(やしろ)を“同愛神社(どうあいじんじゃ)”と名付け、現在に至っております」
 話を終え、会場内を見回す神主に聴衆は惜しみない拍手を送った。

 一つ、誰にもわかっていない事を書いておきたい。
 その当時、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)が、“蜚蘇神(ごきそしん)”の篤い社再建の意志を確かに認めており、それ故に、姿を消した長老が、再びこの社で活躍出来るよう、二十一代目神主に姿を変える力を授けておいた。
 但し、社の成り立ちを話した二十一代神主の“蜚宮成人(ごきみやなるひと)”は、自分が祖人“蜚蘇神”そのものである事など、全くわかっていないのである。

イラストを書いてくださった学生の皆様へ

 三月下旬、目立つ事のなかった椿の蕾が一度に顔をみせました。大阪デザイナー専門学校 イラストを描いて下さった学生の皆様初めまして。私は京都の北、大徳寺や植物園の近くに住んでおりまして、大垣すが子と申します。年齢は七十七歳です。
 此の度は、拙い私の作品を読んで頂き、それに創作豊かな個性有るイラストで表現して頂きました事、本当に有り難く心から嬉しく思います。厚くお礼を申し上げます。
 皆様のイラスト解説や、私へのメッセージなど、お一人お一人の感想を読ませていただき、強いエネルギーを逆に与えてもらったのは事実です。私自身ゴキブリなど、人の尤も嫌がるものを主人公にするなんて……と内心考えもしたのですが、生命力の中に潜む優しさ、醜さ、それに伴う共通の〝らしさ〟を表面かしないで書きたい等を、色々考えた末の作品でした。……が、まだ一ヶ月一回の課題を漸く〆切迄に間に合うようになったところです。そんな三年足らずの文章を、あのように個々まとめていただき感謝感謝で、老いてはいられないと思いました。
 北の方ですが、京都にお越しの時、お茶を飲みにお立ち寄り下さい。一休みして、春の京都の北に出掛けて下さい。
 若い方のエネルギーをもらうと、又、私の古い歩みの道に新しい事を組み入れてゆけるのでは、と楽しみです。
 これからもどうぞ宜しくお願い致します。

心からのお礼迄

大垣とし

大垣 とし

1936年、京都市生まれ

公募やその他入選歴など

2011年、三井住友信託銀行主催 第11回60歳のラブレター『家族へのラブレター』部門 大賞受賞。

書き続ける理由

年齢と共に記憶から薄れていく事柄を少しでも呼び戻すために、文章を書き続けている。

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