創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
004

螺旋(らせん)階段

島村 綾



「兄ちゃん、早く順番変われよー」
 ふてくされるケンタを無視し、兄のクロウは居間であぐらをかいて、携帯用ゲーム機を握りしめ、格闘ゲームに熱中している。ケンタも学校から帰ってすぐに、ゲームをしたかったのに、兄のサッカー部の練習が早く終わったため、横取りされた。小2の切なる願いは、中2の非情な心には届かない。哀れな弟は諦め、宿題にとりかかった。
 ケンタはふと、工事の音が止んでいることに気が付き、ベランダへ近づき扉を開けた。ケンタの住むマンションの近くに、新たにマンションが建設されるらしく、重機が現場に持ち込まれていたのだ。
「ケンタ、窓閉めな」とクロウがゲームから視線をそらさずに言う。が、働く車を見たいケンタは、建設現場をのぞきこもうと、ベランダに出て手すりに胸を乗せた。
 その時、強風が部屋を通過した。舞い上がったクッションが、クロウの手元を直撃し、ゲーム機を叩き落とした。
「てめーケンタぁ!」
「うわあぁぁん!」
 兄の怒号と弟の泣き声が、マンション中に響いていた。


 下校の途中、ケンタは親友のレオに昨日の兄の話をしていた。だがレオは返事をせず、俯きがちに歩いている。
「レオ、元気ないな。どうかした?」
「……ん……」ケンタの問いにも、レオはまともな返答はしない。
「そういえば、今日ずっと元気なかったような。なあ、今から遊びに行っていい? ……あれっ?」
 いつも賑やかに別れを告げる十字路に差し掛かると、レオは無言で自宅の方へと歩いて行った。小さくなる黒いランドセルを、ケンタは狐につままれたように、ぽかんと見送っていた。


 翌朝、目覚めたケンタが見た光景は、ダイニングで両親とクロウとケンタが、朝食を食べている様子だった。
「なんでオレがもうひとりいるんだ?」
 その疑問が心によぎった瞬間、光輝く水晶のようなケンタの意識は、マンションの屋上を遥かに飛び越え、街を見渡す高度に来た。遠くにランプを点けたパトカーが止まっている。事件か? という思考と同時に、数時間前にその場所で起きた事故の様子が、その空間に重なるように見えた。ケンタの意識が、『現在』と『過去』の同時に存在する。ケンタはなぜか、今の自分が『時の神』であることがわかった。
 つむじ風がケンタの意識をかすめて吹いた。その風に親しげな感情が湧いてきて、思わず「兄ちゃん?」と呟いた。
「おーケンタ、お互いこの形(なり)で会うのは久しぶりだな……って、お前は時間の神だから、そんな概念薄いのか」
 やはりつむじ風は兄のクロウだった。しかし、ケンタはどうして自分を時の神だと思ったのか、風を兄だと察したのか、我ながら不思議に思い、
「あそこで朝メシ食ってるオレたちは誰だ!?」と、遥か下のマンションを指して叫んだ。
「何だお前、人間の意識が混ざってるのか。あれは人間役の俺たちだろーが」
 風は事も無げに言った。
「魂は一面じゃない。いくつもの側面があるのさ。全ての人間の本質は神や精霊だ。この世界を住みよくするために、人になって色んな経験を積んで、魂を成長させて役立てるんだ。思い出したか」
 風の説明に、ケンタは忘れていた事をおぼろげながら思い出してきた。
「じゃあな」
「兄ちゃんどこ行くの?」
「俺が留まっていたら、雨は降らないし、花は実を付けないぜ」と言い、傍を飛んでいた鳥の群れを吹き飛ばし、つむじ風のクロウは去って行った。
「オレは時間の神様か……」
 ケンタの意識は、その場に居ながら『過去の時』へと移行した。街の景色がみるみる変わって行く。ビル街や住宅街は、原生林の生い茂る緑豊かな大地に、さらにはマグマがうねり雷雨が常に吹き荒れる、熱い地獄のような環境に変化していった。人間はいないが、有形(ゆうけい)無形(むけい)の存在たちが、原始の地球を形作る喜びを享受し、活発に動いていた。そこには親や学校の先生など、見知った人の本性もいた。
 ケンタは、親友のレオがどこにいるのかと考えた。場面は登校前の『今の時間』に変わった。だがそこはレオの家でも学校でもない、病院だった。レオはベッドの上で横たわる二人の人に、すがりついて泣いていた。
「何があったんだ?」ケンタの疑問を受けて、時間が少し戻った。すると、ケンタとクロウがゲームを巡って争っている『前の日』に焦点が合った。
 人間ケンタは、6階のベランダに上半身を乗せて、ヤジロベエのように揺れている。今にも落ちそうになる瞬間、突風がケンタを持ちあげ、室内に吹き飛ばした。その風はビルの谷間に反射し、建設現場で作業をしていた大きなクレーンを傾け、近くの道路を走っていた一台の乗用車の上に倒れた。車体は潰れ、その惨状に周囲は大騒ぎとなった。その車に乗っていたのが、レオの両親だった。
 人間のケンタを救った風の正体は、クロウだった。風は時の神のケンタに、
「よおケンタ、お互いこの形(なり)で会うのは久しぶりだな」と、最近聞いたことのある台詞を言った。そして、「人間に言っとけ、あんまり危ないことすんなってな」と告げ、去って行った。ケンタの転落を防ぐための風の神の行為が、レオの両親の命を奪う結果となっていたのだ。
「ああ~、オレのせいだったのか……」
 悔やんだケンタは、もう一度事故の瞬間へ意識の照準を合わせ、倒れるクレーンを受けとめようとした。しかし風と違い、物質に触れる手段を持たない時の神を、クレーンはすり抜ける。何度も何度も事故の瞬間へ戻るが、為(な)す術(すべ)無く悲劇を繰り返すだけだった。
「どうしよう、時間を戻って兄ちゃんに、オレを助けないでって言おうか。ダメだ、人間のオレが死んじゃう……」
短くも永くも感じられる時の流れの中、傍観者でしかない己の無力に、ケンタは打ちのめされていた。
「オレのどこが神なんだ。兄ちゃんは世界の役に立ってるのに。オレは何にも出来ない。友達ひとり哀しみから救ってやれないなんて……」
 ケンタは先ほど見た原始の地球を思った。全ての存在が躍動し、歓喜の中、己(おの)が力を惜しみなく使う世界。
「時間を行き来……。そうだ、それがオレに出来ることだ」


「兄ちゃん、早く順番変われよー」
 クロウにゲームを奪われたケンタは、外を見ようとベランダの戸を開けた。
「ケンタ、窓閉めな」というクロウの言葉に、ケンタはとっさに従った。なぜだか、この窓は閉めなければいけないと、心の底から強く思ったのだ。


 翌日、下校の途中、ケンタはレオに昨日の兄の話をしていた。口を尖らすケンタを、レオは笑顔で見ている。
「いいなーケンタは、兄ちゃんがいて」
「全然良くないよ。あんなイヤなヤツ」
「じゃ、イヤなら兄ちゃんちょうだい」
「だ、だめだよ!」
 じゃれ合いながらふたりは建設現場へ行った。現場は白い防音シートに包まれて見えなくなっていたため、ケンタのマンションの外階段から見ることにした。駆け上がるごとに視界が開(ひら)ける。振り返ったケンタの目に、剥き出しの大地に浮かぶレオの悲しげな顔が見えたが、気のせいだと思い、さらに螺旋階段を昇った。

島村綾

島村 綾

1976年生まれ

公募やその他入選歴など

ウェブきらら携帯メール小説受賞。全国放送のラジオドラマ『心のいこい』シナリオ執筆。

書き続ける理由

好き勝手な世界を作れる。

趣味

布団でゴロゴロ。

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