創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
005

ヘルプ ミー

佐野 浩子



 朝、自分のベッドから身を起こしたエリは、二日酔いで頭が痛かった。
 なぜかコーヒーの香りがエリの鼻腔に漂う。
 今年28才の神野エリは一人暮らしである。
 大学卒業と同時に幼い頃からの夢だった女優という職業につきたくて、劇団の研究生となって6年が過ぎていた。
 しかし現実は甘くなく、まだまだ本業の方では食べていけない暮らし向きで、アルバイトで生活を凌(しの)いでいる状態である。
 家賃6万円。1K(ワンケー)のエリのキッチンから、2つのマグカップを持った美女が寝ぼけ眼(まなこ)のエリに、そのマグカップを差し出し言った。
「オハヨー、勝手にコーヒー入れさせてもらったよ。ハイ、エリちゃんの分も」
 コーヒーが入ったカップを受け取り、一口飲んで、何とかこの事態を把握しなきゃと、エリは頭を巡らした。
「飲み過ぎたかな? 神様」
 その美女は、エリにそう語りかけた。
「神様って……あの……」
 言いかけて、エリはだんだん思い出した。
 昨日は、バーでホステスのバイトだった。
 この美女は、来ていたお客さんだったのだ。
(……そうだ。私、このお姉さんと話が弾(はず)んで意気投合したんだ。で、バイトが終わってから一緒に居酒屋かどっかに飲みに行ったんだ。名前……まりあさんだ。……それから……私、何か……引き受けたんだわ、任せてって……)
 エリの様子を、じっと見ていたまりあが、おかしそうに笑った。
「昨日はよく飲んだね。私もお酒はそうとう強いけど、エリちゃんもネ」
 そうだ。酔った勢いで、まりあさんを家(うち)に泊めたんだとエリはやっと合点がいったのだった。が、次の瞬間、自分が何を引き受けたのかを、はっきりと思い出した。
 昨日、まりあは、エリにこう聞いた。
「私、310代目の人助けの神様なんだけど、エリちゃん、あんた、311代目の人助けの神様にならない?」
 なぜか分からないが、エリは自分が神様に成ったと、ハッキリ自覚してしまったのだ。
「311代目の人助けの神様なんだね、私」
 エリはまりあに分かったとばかりに言った。
「思い出したのね、エリちゃん。いえ、311代目の人助けの神様。……良かった」
 ほーっと一息ついたまりあは続けて言った。
「エリちゃん、あなたが一人前の神様の仕事が出来るようにするために、前任の神様、つまり私が指導しなくちゃいけない決まりなの。つまり、今日からエリちゃんの教育係という訳なの。よろしくね」
 そう言ってウィンクしたまりあであった。


 いつもの街の食堂に、エリは布袋直行(ほていなおゆき)と来ていた。
 直行はエリの幼なじみで、小中高大も一緒で、お互い28才の今まで恋人も出来ぬまま、気付けば二人でご飯を食べたりするのが日常なのだった。
 エリは一応、神様なんだが、生活が変わるという訳ではないらしい。
 人の命にかかわる場面で、助けてほしい人が、助けてと念じた時にだけ、限定的に人助けの神の力が出現するのだとまりあは言った。
 生きるか死ぬかの場面なんて、そうそう出くわすものではない。
「エリ? 聞いてる?」
 トンカツを頬張りながら、直行はエリにそう言うや、漬物の皿に手を伸ばした。
 エリは直行の手を、反射的にピシャリと払いのけた。
「イテッ、お前タクアン好きじゃないじゃん。その性格、小さい頃から変わんないのな」
 自分からあげるのは良いが、先回りされるのは、どうにも癪(しゃく)なエリである。
 明日出発だからという直行に、『何がだ?』という表情をしたエリであった。
「やっぱり。聞いてなかったろ? 新しく就航する客船の広告の仕事だって」
 直行はカメラマンの卵で、現在アシスタントで、一人前のカメラマンになるべく奮闘努力の毎日を送っているのである。
「横浜からシンガポールまで行って、んで観光名所やら撮影してって日程なんだって。だからシンガポール土産(みやげ)さ……」
 そこまで聞いて、自分のタクアンの入った皿を直行に差し出すゲンキンなエリであった。
 神様に成れるのは、神様に縁(ゆかり)のある文字が氏名の中に入っている人間だけなんだと、まりあはエリに言っていたのを思い出していた。
 エリは、名字を神野という、まったくもってドンピシャリな名である。
(それなら、直行だって、布袋(ほてい)……七福神だ)
 直行はナンダカンダ言ったって、昔から、いつもエリのピンチを救ってくれている。
 今日だって、バイトの給料日前で金欠なのを知っているからトンカツ定食をおごってくれているのだ。
 エリより、よっぽど人助けが向いている。
「直行、あんたの方が神様に合うかもね」
 思わずエリは直行に向ってそう言ってしまってから、マズイとアタフタしだした。
 神様だという事は、くれぐれも秘密にと、まりあから再三言われていたのだ。
「今度は神様の役か? んー、ミスキャストだな。イヤ、意外性があって良いのか?」
 エリは、自分が女優という仕事をしていて助かったと、胸をなでおろした。
 直行は、芝居の話だと勘違いしていた。
 ほっとしたエリは、わざと直行の顔を睨(にら)みつけ、ホットケと、口を尖(とが)らせ言った。
「お前、ダジャレか、ソレ?」
 直行はからかい半分笑った。


 シンガポールへ向かっていた客船は、突然の嵐に遭い、進路をそれ、座礁、浸水。沈むのも時間の問題となっていた。
 幸い、乗客、クルー全ては救命ボートに移り、船から脱出したのだが、嵐の中の海の上のボートは、急流をもみくちゃに洗われる木の葉と変わりなく、数名が救助の来る前に海に放り出されて行方不明だと、TVのニュースが伝えているのを、エリは自宅で見ていた。
 直行の乗った船だと分かった途端、エリの心臓は破裂しそうに苦しくなった。
 しかし、まりあが言うには、人助けの神は、助けられるターゲットが分かれば、たとえ一万キロ彼方(かなた)にだってテレポートで行けるんだって。で、助けて欲しいと願う人を助ける事が出来るのである。
 今こそ、エリの出番であった。


 ライフジャケットを着け、海に漂(ただよ)う人を発見したエリは、神様の力を発揮し、次々と助けていったのだった。
 最後に、エリは、小学生くらいの男の子を抱きかかえ波の中を辛(かろ)うじて浮いている直行を見つけた。
 もちろん311代目の人助けの神の力で、救助のヘリコプターは彼らを見つけ、先に小学生を引き上げ助けたのだった。
 次は直行という時に、直行は、自分の責任を果たしたとばかりに、大きな波にさらわれ飲み込まれていってしまった。

(直行、どうして助けてと願わないの!?)
 思わずエリは、海の底に向って沈みゆく直行の心に叫んでいた。
 神様はテレパシーも使えたのだ。
 居るはずのないエリの声が聞こえた直行は、最後に神様が自分の願いを聞いてくれたんだと思っていた。
 海に放り出され、気付くと男の子と一緒だった直行は、とにかく、この男の子だけでも助けて下さい神様と念じていた。
 だから男の子が助けられるのを見届けると、ほっとし、力が抜けたのだった。
 それから、海の中、もう最後なら、もう一度だけでいいから、エリの声が聞きたいなと思ったのだった。
 それで満足している直行、死にかけているのに。
(直行、あんたバカじゃないの!?)
 またエリの声が聞こえてきた直行は、嬉しくなっていた。死にかけているのに。
(ほんっと、直行、バカか!?)
 今度は、「エリ大好きだ」と直行は心の中で呟(つぶや)いている。死にかけているのに。
(直行、バカ!!)
 ピンチの中、エリはまりあの言葉を思い出した。
 人助けの神様期間は不死身だって。
 そうだ。
(直行!! 312代目の神様に成るって言って!!)
 エリの切羽詰(せっぱつ)まった必死の声に、直行は、「成るよ!」とキッパリと、薄れゆく意識の中、答えたのだった。
 海の上へ浮かび上がった直行の元へ、再び救助のヘリが近づいて来た。

 もう大丈夫と、エリはまりあが言っていた続きの言葉を思い出していた。
「前神様はね、ボーナスとして、幸せをもらえるんだって。楽しみだわね」


 病院のベッドの上で、目を覚ました直行の横には、エリが笑顔で寄り添っている。
「良かったね、神様」とエリは呟いていた。

佐野浩子

佐野 浩子

1961年生まれ

書き続ける理由

うまくなりたい、いつか。

趣味

歌うこと。

座右の銘

為せば成るかも。

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