創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
007

クリーニングゴット参上

西森 郁代



 一人暮らしの圭介は28歳。今夜の食事は、ハンバーグだ、と言ってもいつものコンビニ弁当。ソースが溢れないように、ビニール袋を持ち、マンションに帰った。
 靴を脱ぎ部屋に入る。直線に歩いて8歩、そのコースしか歩かない、いや歩けないのだ。
 右にそれると、脱ぎ捨てた服の山に足を踏み入れる。左に傾けば、空容器の山を崩す。
 だからまっすぐ8歩。以前はそこにテーブルがあったが、今は物に隠れて見えない。
 圭介は「ふー」とため息をついた。明日は休みだ、部屋の掃除をしようと思った。
 しかし、結局はずっと寝ていた。しよう、できなかった、いつもこの繰り返しだ。
 そんな圭介に、不思議な事が起きたのは桜が咲く頃だった。その日は、何か胸に覆い被さっているように息苦しく、眠れなかった。
 朝目が覚めると、綺麗な女の人が立ち、耳元で囁いたのだ。
「貴方は今日からクリーニングゴット、クリーニングゴット」
「えっ、何だって?」圭介がそう言うと、乳白色のもやがたちこめ、女の人は消えた。
 圭介はあたりを見回したが、目に入るのは埃だらけの部屋と、あふれかえった物だけ。
 ベットから出ると、何故か圭介の身体は、むずむずし始めると同時に、手が動き出した。
 山積みされた物を取り出し、整理し、処分していく。お掃除ロボのように、手足が動き、埃が積もっていたキッチンカウンターも、フロアーもピカピカになった。
「俺、どうなったんだ?」と圭介は呟いた。


 会社に着くと、同期入社の小田沙樹がまだ誰もいないオフィイスで、ゴミ集めをしていた。沙樹は何事もテキパキとこなし、仕事のできる女性だ。
 しかし、服装もヘヤースタイルも派手で圭介の好みのタイプではない。
 いつもの圭介なら、挨拶するだけなのに、何故か手がゴミ箱に伸び、ゴミ集めをし始めたのだ。
『あれ、俺こんな事するつもりじゃなかったのに、なんで?』
 沙樹は驚いたように圭介を見て、にっこり笑いながら、「ありがとう」と言った。
 それがきっかけで、沙樹との交際が始まった。
 二人は同期入社なので打ち解けるのも早く、まもなく恋人同士になった。つきあってみると、外見は派手だが、のんびり屋で、優しい性格だということもわかってきた。
 沙樹との交際も順調に進んでいたある日のことだった。デートの帰り「い、痛い」と彼女が急にうずくまってしまった。顔は青ざめ、形のいい唇を歪めながら、苦しそうに俺の腕を掴み言った。
「圭介、お願い助けて」
「沙樹、しっかり、どこが痛むんだ?」と聞いても、苦しそうにしているだけだった。
 一時間後、沙樹は病院での処置のおかげで、痛みは治まりベットで眠っている。念のため検査で三日間入院する事になった。
 圭介は、彼女の着替えを取りに沙樹のマンションに行った。渋る沙樹を説き伏せ預かった鍵で中に入ると、鼻にツンとくる嫌な臭いがした。
 カーテンは閉まっていたが、その隙間から見えた光景に、圭介は自分の眼を疑った。
「何だこれは……」
 一瞬、このマンションの物置部屋か、不用品収集部屋かと思ったほどだ。いや確かに一0三号と確かめて中に入った。彼女が鍵を預けるのをとても嫌がった訳が、今、解った。その日は、逃げるように部屋を飛び出し、家に帰ると、頭から布団を被って寝た。
 翌日、久しぶりに会社の先輩の南慎吾と飲んだ。
 沙樹の元カレ。気が進まなかったが、先輩の誘いは断れなかった。その慎吾が突然、「俺がどうして沙樹と別れたのか、知っているか?」と聞いた。首を横に振る圭介に、囁くようにこう言ったのだ。 「彼女はかたづけられない女性なんだ、しかも掃除が大嫌いなんだ」


 入院二日目の夜、沙樹のマンションに行った。「俺はクリーニングゴット、クリーニングゴット」と呟きながら、ドアーを開けた。中に入ると、大きく息を吸い込み『クリーニングゴット』と心の中で繰り返し呟いた。何日か前のように身体がむずむずしてくるのを待つ。すると、手足が動き始め、てきぱきと捨てる物、洗濯する物……と仕分けしていった。
 しかし、片づけても片づけても、後から物が出てくるのだ。季節はずれの洋服、形の崩れたバック、箱に入ったままの靴……。圭介は、もう限界だと思ったが、クリーニングゴットになった自分の力を信じた。おもいっきり天井に両手を広げ、「俺はクリーニングゴットだー」と叫んだ。
 すると、ガタンという音と同時に、沙樹の部屋が半回転したのだ。まるで、芝居劇場の回り舞台のようだった。とても信じられなかったが、確かに回転したのだ。おそるおそる、眼をこすりながら部屋をみた圭介は、息をのんだ。あの部屋がモデルルームのようになっていたからだ。オフホワイトのソファーには、クッションが二つ、テーブルには、真っ白なレースのテーブルクロスがかかっている。窓ぎわの棚には、小さな花瓶が飾ってあった。そのソファーに二人で座っている姿を思い浮かべた。圭介は初めて、クリーニングゴットになってよかったと思った。
 はっと気がつくと、乳白色のもやがたちこめ、微笑みながら沙樹がたっていた。
「何日か前、圭介が見た女神は私なの」
「え! なんだって、あの女神が沙樹?」
「そうよ、ずっとゴットになる人を捜していたの」
 驚く圭介に、沙樹はにっこりと笑いなが言った。
「私は、貴方を選んだの」
 それからの沙樹の話は、びっくりする事ばかりだった。
 ゴットになるには条件がある事。
 元カレの慎吾は、条件にあわなかった事。
 沙樹の急病は、ゴットになった圭介の力を試すためだった事……。
 圭介は、自分の気持ちを静めるかのように、ゆっくりと口を開いた。
「条件というのはどんな事なんだ?」
 それは、自分の部屋がプチゴミ屋敷で、片付けられない人だ、と言う沙樹の言葉に圭介は、苦笑いするしかなかった。沙樹は「でも一番大事な条件は、私がその人を好きだということよ」と言いながら圭介をじっと見つめた。
 二人は、オフホワイトのソファーに座り、コーヒーを飲んだ。窓から柔らかい陽射しがさし、白のレースのカーテンが風に揺れている。以前は、窓を開けることさえできなかったのに……。片づいた部屋は、なんて気持ちがいいのだろう。いや、何より沙樹に選ばれた事が、圭介は嬉しかった。

 沙樹から、話を聞いたのは二日前だ。
 ゴットの大切な任務が何なのか……。それは、一人暮らしのお年よりを『クリーニング訪問』する事だった。身体が思うように動かず、掃除も片付けも、できない人の家を訪問して掃除する。気持ちよく自分の家で暮らしてもらう、というのだ。
 沙樹が訪問する家を選び、圭介が『クリーニング訪問』する。
 ゴットへの変身はもう慣れた。天井に両手を広げ『クリーニングゴット』と呟き、身体がむずむずしてくるのを待つだけだ。
 おばあさんを訪問したときの事だ。圭介が、見つけた写真をおもむろにさしだすと、捜していたおじいさんの写真がみつかったと喜んでくれた。「おじいさん、おじいさん」と何度も呟きながら写真を撫で、しばらくすると、しっかりと両手を合わせた。合わせたそのしわだらけの手が、細い肩が、小さく震えていた。圭介が帰るとき、何度も何度も、お礼を言いながら見送っていたおばあさん。
 圭介はゴットの仕事をする事で、こんなに喜んでくれる人がいる事や、自分もまた幸せな気持ちになる事を知った。
 訪問した人の嬉しそうな顔を見ると、圭介も嬉しくなる。そんな気持ちになる時、沙樹との出会いに感謝する。
 今日も玄関の呼び出しベルを押す。
『クリーニングゴット参上』

西森郁代

西森 郁代

1951年生まれ

公募やその他入選歴など

奈良新聞投稿エッセイ掲載。奈良県人権啓発標語大賞受賞。全国放送のラジオドラマ『心のいこい』シナリオ執筆。

書き続ける理由

書く事で自分を内観する。物の見方考え方を広げ、豊かにしたいから。

大切にしている言葉

今を、今日を大切に生きる。

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