創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
009

ドリーマー

(夢のはじまり)

伊東 香代子



 黒い空。
 雷の轟き。
 蒼い稲妻。
 緑は深い夜に、はっと目覚める。
「ギャー。ワァー。何、あんた……」
 と、緑は身を起し悲鳴を上げた。
 緑の叫び声に、女はたじろぐ。
「ああ、ビックリした。なんちゅう声を出すんやなぁ。もう少し大人しくできひんか! うちは死神のヌイと言うもんや!」
 ざんばら髪に、顔から首まで白塗りで眼力(めちから)が鋭く、薄汚れた赤い長襦袢の死神ヌイが、緑を覗き込み、しゃがれ声で怒鳴った。
 突然の出来事に、頭は真っ白に為り、ヌイの怒鳴り声に戦慄(わなな)く緑であった。
『何で、死神がうちに居(お)るんやろ。お盆やお彼岸でもないのに。去年、パパの弟の五十回忌の法事をパスした罰やろか……。絶対に何かの間違いや』と、呟くがヌイの存在を見ると心は揺れた。
 ヌイは、緑の様子を横目に、ソワソワと長襦袢のたもと袂から携帯電話を取り出し、小声で喋り始めた。その姿を見詰めていた緑は『これは夢であって欲しい』と、願いながら自分の顔をパンパンパンとたた叩いた。
「ちょっと小母ちゃん! 何で、そんなにきつく顔を叩(たた)くんや、顔は女の命やで。静かにしてーなぁ。今、うちは電話中やで!」
 ヌイはみけん眉間にしわ皺を寄せて携帯電話を翳(かざ)した。
 緑は気まずそうに謝った。
 彼女はしみじみとヌイとは、馬が合わないと感じ、思わずヌイの後姿にアッカンべをした。すると、ヌイの頭だけがクルリと後ろに回り、緑を見詰めてニタリと笑う。
 緑は度肝を抜き、その場にへたり込んだ。
 その姿にヌイは腹を抱えて嘲笑(あざけわら)った。
 彼女は一頻(ひとしき)り笑うと、携帯電話を緑に渡す。
『どなた』と、尋ねることを思い留まる緑。
 またヌイの機嫌を損なってはと、気を使い、携帯電話を慌てて耳に当てた。
「もしもし、あのう、森緑と申します……」
 携帯電話の相手が正体不明なので、不安のあまり、声は上擦(うわず)り彼女はワナワナと震えた。
 十秒ほど沈黙があった。
「緑……大好きだった僕の緑」
 聞き覚えの有る、愛おしく懐かしい声が、緑の脳裏を駆け巡る。
「えっ! 徹さん? 死んだはずの貴方がどうして!?」
  「いや。君に隠している事があるんだ。今から起こる出来事を、しっかり受け止るんだ。ヌイさんが先導してくれるよ。僕の大切な緑」と、言うと携帯電話は切れた。
 朦朧(もうろう)とした意識の中で『いったい、私はどないなるんやろ』と呟く緑であった。
 緑は奇妙な出来事に不安が募った。
 だが、元来、極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)の緑は『徹さんを信じるこっちゃ。必ずええことあるわ』と、自分に言い聞かせた。
 ヌイの指示通りに、彼女にしがみ付き、目をしっかり閉じたまでは、記憶にあるが……。
 何故か、緑達は長閑(のどか)な公園のベンチに座っていた。右隣りに座っているヌイは大きな溜め息をつ吐き、「しもた! またや、外国人死神センターに入り込んだわ。ここは危険地域やさかい、気ぃつけてや」と緑に言い、くそ真面目な顔で携帯電話のメールを打つ。
 緑は前方に目を凝らすと、なんと三年前に急死したマイケルジャクソンが、緑にウィンク、御負けに投げキッスまでして、ムーンウォ―クで緑に近づいて来るではないか。
 緑は立ち上がり「ワォー。アイラブマイケル……。カモン。マイケル!」と、五十半ばばというには、年甲斐もなく興奮して奇声を上げた。
「あ、あほか! おうちの生身の血が欲しいだけや。おうちは俄(にわか)死神で、中身は人間どす!」
 ヌイは緑の態度に怒りを爆発させる。
 次の瞬間、ヌイの足が驚くほどに伸び、緑に近づくマイケルの顔面を蹴(け)り上(あ)げた。
 マイケルは横転し、風船の空気が抜ける様に、シューワと消滅した。
「あんなぁ緑はん、人間の血は死神達の栄養源やで。はよ、気ぃついて良かったわ」
「済みません。ほんまに堪忍……」
「ワァー。タイムリミットや。やっとマシーンの調整がでけた。今度は大丈夫やで」
 満面の笑みを浮かべ、緑の両腕をグイと自分の体に引き寄せて「さぁ行きまっせ!」と、威勢よく言うヌイであった。
 緑はヌイにしがみ付くと薄汚れた長襦袢から饐(す)えた匂いが鼻を突く。
 疲労困憊(ひろうこんぱい)した緑は、いつの間にか熟睡していた。そんな緑を起すのを躊躇(ためら)うヌイであったが、時間経過に不安を感じ緑の肩を叩いた。
「緑はん、着きましたえ。起きてや」
 緑はヌイの呼び掛けに目覚めた。そして当たりを見渡す。見覚えのある病院の玄関から駐車場に繋(つな)がる道路は、満開の桜であった。
「まぁ、綺麗っ。この桜を見るのは、何十年振りやろか……」と、桜を懐かしむ緑。
 ヌイは真剣な眼差しで、携帯電話のメールの着信を耽読(たんどく)し、驚いて緑に訊ねた。
「おうちはこの病院で、女児を出産しはったんやねぇ? ええーと、三十五年前に……」
「えっ、突然何……。あの子は生まれてすぐに死んでしもうた。私の所為(せい)や……」
 深い溜め息を吐き、切なく笑う緑。
「緑はん、その子は死んではおへん。生きてはるえ」
「……い、生きてるて!?」
 ヌイの言葉で、緑の心に衝撃が走る。
 満開の桜の下、茫然と佇(たたず)む緑の姿があった。
 緑は満天に、舞い散る桜吹雪の美しさに、一時(いっとき)の不安が消えた。
「緑はん。ゴチャゴチャ考えんと、相手さんに聞いてみい。うちの携帯電話でもう、かけてますえ。『伊藤治子(はるこ)』と言う、お人に」と早口でヌイは言うと、急いで携帯電話を緑の耳に当(あ)て行(が)った。
 ヌイの携帯電話の呼び出し音を聞きながら、は腹をす据えた。
「はい、伊藤です」
 緑の脳裏に、徹の姉の治子(はるこ)の声が響き渡り、緑の体に緊張が走る。
「ええっと……ご、ご無沙汰しています。義姉(おねえ)さん。緑です……」
「緑? ああ、あの緑さん。どないかしはったの? 突然に、電話してきはるなんて」
「お義姉さん、お尋ねいたしますが、私の産んだ子は、死産やないと聞きましたが、ほんまですか?」
「今頃なに? あほらし!」と治子(はるこ)は吐き捨てる様に言った。
 緑は、取り付く島も無い治子(はるこ)の返事に、同揺する自分を『頑張れ!緑』と励ました。
 突然、耳を劈(つんざ)く雑音が入り、それが消えると若い男性の声が、治子と緑の受話器に聞こえてきた。
「姉さん! いい加減にしろよ。緑を騙(だま)すのは止めてよ。もぉ、いいだろ。姉さんの子供である千与(ちよ)は、僕と緑の子供だろ。何故、緑に死産なんて言ったんだ」
「徹さん! 私は緑です。お義姉さんを責めんといて! あの頃、貴方が交通事故で亡くなってから、私は生きる屍(しかばね)やった。私は母親の資格なんかあらへん! お義姉さんの判断で正解や……」と緑は泣きながら、徹に訴えた。
 携帯越しに治子の嗚咽が聞こえる。
「緑、姉を許してくれるんだね。有難う。姉さん、肩の荷が下りただろ。僕も安心したよ。緑、本当に有難う。千与(ちよ)の容姿は僕によく似ている。しかし、性格は緑にそっくりだよ」と徹は優しく言った。
 徹が話し終えると全ての通話が切れた。
♪男だったら一つにかける~。かけて~もつれた謎を解く~。誰が呼んだか。誰が呼んだか。銭形平次ぃ~♪
 聞き覚えのある、しゃがれ声の歌声が聞こえた。声の方に振り向くと、ヌイを見つけた。緑は走り寄り、彼女の薄い胸に顔を埋めた。
「終わりはったんやね」とヌイは、緑の背中を摩(さす)った。
「おおきに。有難うございました」と緑が言うと、背後で「緑」と呼ぶ徹の声がする。振り返ると、愛しい徹が、亡くなった二十五才の姿のままで立っていた。
「ヌイさん、さぁ行きましょうか」と徹は西の空を指差した。なんと、テレビ時代劇で大ヒットした銭形平次の扮装をした大川橋蔵が笑みを浮かべて、徹の後に立っていた。
「ヌイさんのたっての願いで浄土への見送り人は、銭形平次に扮した大川橋蔵さんでと、言うので、お願いしたら銭形平次の姿で、一緒に迎えに来てくれましたよ」と徹は言った。
「へぇ、嬉しおす。緑はん。うちの憧れの大スター橋様平次のお迎えで西国浄土に行けますえ。おうちのお陰どす。おおきに。有難うさんどす。緑はん……」
 ヌイは深々と頭を下げて、長襦袢の袂(たもと)の端で目頭をそっと押さえた。
「ヌイさん。私の方こそ、お世話さんでした」
 緑は涙声で言うと、一礼をした。
 ヌイはにっこりと頬(ほほ)え笑み、橋様平次に寄り添うと、桜吹雪に包まれて浄土に旅立った。
「緑、僕はこうして浄土に渡れない人のお世話をしているんだよ。僕と緑のいる世界は違うけれど、また時期が来たら必ず、会えるよ」
 徹の姿は最後に舞った桜吹雪と消えた。
 緑は溢(あふ)れる涙を手の甲で何度も拭(ぬぐ)った。
 満天を仰ぎ、静かに合掌する緑であった。

伊東香代子

伊東 香代子

1950年生まれ

書き続ける理由

書く事で、自分の世界に入り込み、楽しくてワク ワクする。

趣味

他人とのお喋り。

特技

心の弱った人を元気にすること。

大切にしている言葉

人様を大切に。

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