創るcollaboration 第一回コラボレーション企画
012

出候

(でそうろう)

野田 時々



 由美子は48歳だ。夫の転勤に伴って大阪に移り住んだ。最初の日、バスに乗った由美子は咳き込んだ。たちまち、あちらこちらから手が出てきた。
「飴ちゃん食べ」「はい、アメちゃん」「あめちゃん」
 由美子は驚きのあまり、ひいた。
「楽になるでえ、はい飴ちゃん」と、あっけに取られている由美子の手に、飴を載せた。10個もあった。
 あんなに違和感を覚えた飴ちゃんと呼ぶ大阪暮らしも15年を過ぎたいま、由美子も毎日飴ちゃんを入れた袋を持ち歩いている、立派な大阪のおばちゃんである。
 ある日、由美子は買い物から帰ると冷蔵庫から声がする。
「寒い、出してくれ」
 冷蔵庫を開けてみると、昨日、友達からもらった飴がしゃべっている。
「わしは、神様だ」
 おもわずドアを閉め、そこへ、へたり込んだ。頭が真っ白になった。由美子は50歳を目前に、若年性痴呆症かと、愕然とした。
 夫の和仁が帰宅すると、話をした。
「最近はいろいろな機械がしゃべる。その新しいバージョンだよ」
 ああそうかと、安心をした。
 結婚時に、由美子は料理を上手くなる、和仁は禁煙を誓い合った。料理に自信のなかった由美子は『努力する』の項目を付け加えた。すると、和仁も『努力する』を引っ付けた。『努力する』ということは、タバコをやめないの免罪符になって、今に至っている。
 その晩、冷蔵庫を開けると、また飴ちゃんがしゃべりだした。夫がいると静かなのに。
「寒いから、出してくれ」と、飴ちゃんが懇願する。
 さいきん世界はおかしくなってきている。飴ちゃんもその一つかもしれないと、由美子は考え、もっと深く思考するのは止め、神棚に飴ちゃんを奉(たてまつ)った。
「神様や言うけれど、何の神、お名前は? 私は由美子」と、尋(たず)ねてみた。
「知ってる、なにしろわしは神やから。名前は出候(でそうろう)」
「変な名前やな」と、由美子が笑うと
「居候(いそうろう)て知ってるやろ。家にいる厄介者(やっかいもの)のことや。わしは外へ出たがる厄介者やから、出候。厄病神や。覚えといてな」
 驚いている由美子を尻目に、出候は続けた。
「効き目が遅いのがわしの特長でな。他の神様はとっくに神様になってるのに、わしは今頃や。何度も言うけれど、覚えといてな」
 覚えたくも無いと、由実子はつぶやいた。
 由美子は夜中に何回もトイレに行きたくなる。熟睡したいと願っていた。
 出候に頼んでみたが無理だった。役立たずの神様だと、由美子は感じた。
 共働きの娘夫婦のために、孫のえりをしばしば預かっている。今日は二人とも遅くなるとのことで、えりを泊めることにした。1歳5ヶ月の可愛い盛りだ。
 和仁はこぶを作ってご機嫌で帰宅した。仕事の接待後、どこかで転んだらしい。由美子も料理中やけどをした。どうも出候が現れてから、事故続きのような気がする。疫病神は早くお引取りを願わなくては。
 そこへえりが起き出した。お腹がすいたようだ。「あめ、あめ」と連呼している。娘から虫歯予防のため、寝る前は甘いものを食べさせないように言明されている。
 由美子はえりをもう一度寝かしつけた。
「たばこ、部屋で吸わないでよ!」と、由美子に言われ「うん」と、和仁は生返事をして、家の外へとタバコを吸いにでる。それを見届ける。
 夜中になにやらうめき声が聞こえる。寝ぼけ眼で起き出すと、えりが目をむきあわを吹いている。普段だったら、すぐに目が覚めるのに、変だ。横で和仁も白河夜船(しらかわよふね)だ。
 和仁をたたき起こし、救急車を呼ぼうと携帯を操作しようとするが、手が震え、指が震え、119が押せない。ようやく繋がった。
 救急車でえりは病院に搬送された。救急医はえりを一目見るなり「ニコチン中毒かもしれませんね」と、言った。
 由美子は頭がくらくらとした。
 医者はとても難しい顔をしていた。 「相当苦しんだようですね。意識障害、呼吸麻痺がみられる。もう少し早く気がつかなかったのですかねえ」と、看護師に話している。
「お願いします。助けてください。お願いします」涙声の由美子。
 娘夫婦も駆けつけてきた。
「おかあさん、ここは私たちが付いているから、いったん家に帰って、いる物を持ってきて」と、娘に指示される。
 あわてて、タクシーを飛ばして家に帰ってきた。道中、和仁に「何かあったら、離婚よ」と叫び、神棚に向かった。
 和仁は「僕はタバコ、ちゃんと置いたけど」と、つぶやき、うなだれていた。
「飴ちゃん神様、えりを助けて」
「由美子さん、よく眠れたか。効き目が遅くて悪かったなあ」と出候。
「飴ちゃん神様。それで、目が覚めなかったのね」
「感謝の一言があってもいいと思うが、その顔はどうした」
「飴ちゃん神様、えりを助けて、タバコを誤って口に入れたらしいの」と、由美子は頼んだ。
「ああ、昨日の晩なあ」と、出候。
「何か知っているの」と、由美子が詰め寄る。
「えりちゃんがわしを食べようとしたのじゃ。食われては堪らんと、横に供えてあった物を代わりに渡したのじゃ。それがたばこじゃったかの。何しろ神様になって日が浅いものじゃからタバコとは気がつかなかった。すまん」
「謝るより先にえりを助けて」と、必死で頼んだ。
「それは無理じゃ。役割が違う。なんぼ神様じゃいうても、わしにはどうすることもできん」と、出候は返事した。
「できる神様はいるでしょう。神様同士頼んでよ。お願い」
「そんなに頭を下げられても、無理じゃ。だめ」目を合わせないように背を向けた。
 病院からえりの様態悪化。至急戻れと連絡があった。子どもはよく病気や怪我をする。えりが由美子のところに居る時は、保険証も由美子が預かるようにしている。保険証と着替えを掴み、慌てて病院に戻った。
 病院では医者や看護師がとても難しい顔をしていた。由美子は心臓をわしづかみにされたようになり、心臓の鼓動が聞こえた。そこらあたりの風景が白く遠くになった。
「由美子どうした」と、頭の上で大きな声がする。和仁が上から覗き込んでいる。「大丈夫」と、手をヒラヒラさせ、踏みとどまった。自分でほっぺたを殴り、前方を見据えた。
「先生、お願いします、えりをお願いします。助けてください」と、由美子は医者にすがりつくように、頭を下げた。
「もう、良くなってもいいのですが」と、医者が不思議そうな顔をした。
「血圧低下」と、看護師が言った。医者は慌てて、えりの側に駆け寄った。
「え」と、医者が大きな声を張り上げた。
 由美子と和仁、娘夫婦は体を硬直させた。
 医者は緊張した表情でえりの脈をとり、ベッド周囲の計器を見た。すると驚き目をこすって、こんどは医者は頭を振った。
「どうした」と、4人は声をそろえた。
「どうもこうも、不思議だ、奇跡だ」と、医者と看護師は機械をチェックしだした。あわただしい動きが続いた。
「なんなのです」と、ヒステリックに4人。
 医者は「奇跡がとしか言えません。えりちゃんには、ニコチンの形跡はまったくありません。わかりません。が、全快です」
 帰宅した由美子はさっそく、飴ちゃん神様、出候に聞いた。
「あんたやはんやろ、えりを助けてくれたのやろ。ありがたい、ありがたい」
「遅うなって悪かった。どの神さんに頼んだらいいのか、わからなくてな。手間どってる内に、よけい悪る成ったのやろ。間におうたか、よかったな」と、出候。
 えりは娘夫婦が連れ帰った。その翌日デパートで快気祝いの品を買った。出候に礼をせねばと思った。あら、居ない。出候が消えうせている。え、なぜか。バスの中でそういえば、隣の人が咳き込んでいた。飴を差し上げた。飴ちゃん袋の中になにやら変わった色の飴があるなあとは思ったが、それ以上深くは考えなかった。あの飴か。いつの間にあの袋に入っていたのだろう。解からなかった。
 そのころ、飴ちゃん神様出候はつぶやいていた。
「厄病神やで、わしは。おまけに出たがりの神やで。そやのにあまりにも手厚くされ過ぎては、居心地悪い。一歩も外へ出られへん。そんなん、勘弁して欲しいわ」
 和仁は12回目の禁煙を実行しだした。

野田時々

野田 時々

1946年生まれ

公募やその他入選歴など

・毎日新聞投稿エッセイ掲載。
・朝日新聞投稿エッセイ掲載。
・神戸新聞兵庫文芸佳作。
・KBS京都ラジオ『鈴木美智子の脳活ラジオ』で、松尾成美監修:話すように書く文章講座作品集『名残り花』に収録の作品が朗読される。

書き続ける理由

楽しいから。

趣味

旅行。ウォーキング。

大切にしている言葉

ありがとう。

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