011
真紅(しんく)の途(みち)
島村 綾
暗夜、倉庫の片隅で身を潜めていた俺は、置かれていた藁の上に座り込んだ。真白な身体と額から伸びた白銀に光る一本の角は、多くの人間の血に濡れていた。じきに見つかるだろうが、少し体力を回復したい。これから長い距離を走るのだから。俺は目を瞑り、これまでの半生を思い起こしていた。
草原を憂いなく駆けていた仔馬の頃。母は、決して縄張りから出てはいけないと言っていた。今思えば多くの仲間が俺と同じ運命を辿ったのだろう。世界を見たいと思う好奇心に負け、俺は人間という生き物に姿を見せてしまった。
人間の少女という、未知の生き物に近づいた所を、潜んでいた人間の男達に捕まった。俺達は人間達の噂では、乙女の腕(かいな)の中でのみ穏やかになるとされるそうだが、正確ではない。一角獣(ユニコーン)は他者の心が読める。無垢なる者に悪感情を抱く必要が無いというだけだ。
俺は闘技場(コロッセオ)で、命をかけた見世物の闘いを強いられるようになった。鎖から放たれ、青空を拝めるのはこの殺戮の場でのみ。対峙するのは様々な動物や人間の剣闘士(グラディエーター)。俺は生きる為、次々と恨みの無い相手を喝采の中で殺めていった。
今日俺の獲物として現れたのは、何の武器も持たない痩せた人間の男だった。足に怪我を負っているようだが、その心には恐れや敵意が無かった。むしろ、歴戦の苦労を物語る俺の全身の傷を見て、憐れみさえ向けて来る。よく見ると、観客席の人間達とは髪や肌の色が違う。身に付けている物も粗末な気がする。人間はなぜ同じ種族を賤(いや)しむのだろう。理解に苦しむ。
急に、全てに飽き飽きした。開始の鐘の音が聞こえると同時に、俺は手負いの男の遥か頭上を跳躍した。そして観客席に降り立ち、立ち塞がる何十人もの外道達を刺し貫くと、降り注ぐ紅(あか)い雨の中を走り去った。
短い時間だが眠っていたようだ。疲れは取れた。酷い目に遭ったが、母の忠告を破った後悔は無い。新しい土地が見たくなったので、数か月前ここへ来た時にくぐった城門へ行くことにした。
城門では、人間の兵士が俺を待ち伏せしていた。物陰で躊躇していると、
「一角獣(ユニコーン)は闘技場(コロッセオ)へ戻っているぞー!」
と、大きな声が聞こえた。
兵士たちが城門から去ると、声の主が草むらから現れ門のカンヌキを開けた。手負いの男だった。
俺を逃がしてくれるつもりらしいが、こいつのために騒ぎを起こした訳じゃないから、礼は言わない。
男の横を通り過ぎる際、俺は城門の金具に角を擦りつけた。角の傷から出た透明な体液を男に振りかける。怪我が瞬く間に癒えたのだろう。見る見るうちに男の顔色が良くなっていった。
これでお前も走れるはずだ。
自力で生きろ。俺も生きる。
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