005
魔法の白い箱
青木 浩之
子どもの頃、つい扉を開けて中を覗いたのが冷蔵庫であった。
開けた瞬間のひんやりとした冷気、夏の暑いとき、あの一瞬の清涼感がたまらなく好きだった。
よく冷蔵庫の中へ頭を突っ込み母に叱られた記憶が今も残る。
何よりも冷蔵庫の中には、いつもお腹を満たす美味しいものが入っている期待があった。
ジュースやアイスクリーム、時には「え! 何これ」と思いもよらないようなケーキやシュークリームがあったりもした。
その時の嬉しかったことと言えば本当に踊るような気持ちだった。
しかし、それは大抵お客さん用であり、ガッカリしたが、母は、私達子どもの分もちゃんと取っておいてくれた。
私にとって冷蔵庫の中は、まさに魔法の白い箱、今でいうドラえもんのポケットのような気がした。
そのせいか、五十歳を過ぎた今でも、何もないのに、つい冷蔵庫を開ける癖が付いてしまっている。
今は子どもの頃の期待感と違って、何となく「何かないかなぁ-」程度のものであるが、つい中を覗いて見たくなるのが、何んとも不思議である。
ある日、新しい冷蔵庫が入ってきた。
これで何代目の冷蔵庫であろうか?
冷蔵庫が壊れるときはいつも決まって中が冷えなくなり、ブーンと音が鳴ることが多かった。
私はもっと大きなものがほしかったが、スペースを考えるとあまり大きなものは買えなかった。
最近の冷蔵庫は、子どもにとって中が見えにくい。昔と比べると形が大きくなり、背が高くなったせいもある。
冷凍室や野菜などのチルド室が下にあって、プリンやジュースなどは上の保冷室となっている場合が多い。
近頃は、冷蔵庫の中を覗く子どもなど、あまりいないのかもしれない。私は少し残念な気がする。
物が豊かになって、近くにコンビニなどがある今では、それが冷蔵庫の代わりとなり、いつでも好きな時に好きなものを買えるので、冷蔵庫もあまり必要ではなくなったのかもしれない。
これも時の移り変わりだろうか。
そう思うと子ども達は、心の振えというか、小さな感動も無くなったのではと大変気になる。
さて、新しい冷蔵庫であるが、冷蔵・保冷室は、私にとって、ちょうどいい高さにあって何が入っているかよく見渡せる。
「冷蔵庫はこうでなくっちゃ」と心の中で思いながら、ついつい中に何が入っているのか。またも時々確認する自分が可笑しかった。
きっと、白い扉を開けて中を見る癖は、一生直らないのかもしれない。
それは私にとっての白い魔法の箱であり、冷蔵庫が無くならない限り続くと思う。
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