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今村 とも子

今村 とも子
1948年生まれ

002

《エッセイ》

おひとり様はごくろう様

 二〇一三年十一月、私は六十五才になった。
 家の恒例の誕生日会は、私一人になってしまった。誕生日と言っても、本人の好物を膳に並べるだけのお粗末だが、子供達は満面の笑顔で喜んでくれたものだ。
 そもそも誕生会の言い出しっぺは、舅で、
「大人は誰かを祝うことはあっても、自分自身が祝われることはないから、大人こそ祝うべきだ」と始めたのである。
 家族六人の誕生会を四十年近く行った。よく続けたものだ。年を経て、子等は巣立ち、舅、夫に続き昨年末には姑も黄泉へと旅立った。一度くらい、思いっ切り派手な誕生会をしたら良かったと一人になった今、思う。

 がらんとした家。物音一つしない。いつかは来るだろうと思っていたが、こんなに早く来るとは、予想外だ。
 私は六十五才を境に『独居老人』と呼ばれる様になった。『連れ合いのいない高齢者』言い得ているだけに感心したが、口惜しい言われかただ。独りはイエローカードとレッテルを貼られない様に気をつけねば。
 取り留めのないことを考えていたら、足元に冬の日差しが、ほーっと暖かい。うっかり、うたた寝をしても、誰もせかす者はいない。全ての時間を一人占め、おひとり様。

 私は文章教室へ通ったお陰で、文が書けるようになった。頭の中の単語を整理整頓し、文字に変換する作業。自由に思いを巡らし、一つの作品として出来上がった時は、どんなに嬉しかったことか。
 子供の頃から作文は大のつくほど苦手だ。そんな私がなぜ始めたのか。
 一番の理由は、実家の母がちょっと呆けて、娘の私を忘れたまま死んでしまったのだ。私も娘を持つ身。同じ様なことで死にたくはない。親娘二代、呆けたなんて我ながら、あまりに可愛そう、哀れすぎる話だ。
 これは絶対に避けなければならない。そうだ、頭に刺激を与える何かをやるべきだ。

 カルチャー教室は色々あるが、二の足を踏む。一向に決められず、私は迷っていた。
 そんな私を『どん』と後押ししたのは、産れたばかりの孫、真緒ちゃんの笑顔だった。
 手のひらにすっぽり、収まった可愛い顔。この児に呆けた婆ちゃんの姿は見せられない。
 その笑顔は、私に訴える。
《いつまでも、元気でいてね》
「ありがとう、真緒ちゃん。すっかり大きくなって。この春で四年生だね。婆ちゃんはこれからも書き続けるからね。見ててね。時には真緒ちゃんの長い買い物に付き合うからさ」





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