創るcollaboration
大垣 とし

大垣 とし
1936年生まれ

003

《エッセイ》

ぼたん雪からこな雪へ

 息子達も娘も家庭を持ち、大きく一つの区切りがついた。
 長年の夢であった創作の世界へと生活のリズムを本格的に切り替えたのは、五十代に入ったばかりの時だった。
 出来上がりの大きな作品を好んだ私は、独自のデザインに古布を使い、パッチワークで仕上げ、タペストリーをつくる。又は各種の糸を使い、太くて長い棒針で景色を編み上げ、屏風仕立てにする。その作品創りには眠る時間も惜しんで針を運んだ。
 だが人生はそうそう私の思い通りには続かず、次は区切りの見えない老いた母の看護や介護の日々が始まった。
 母と暮らしながらの介護の日々は二十年を要し、今漸(ようや)くすべてから解放された。一九三六年生まれの私は七十八歳になっていた。
 再び、以前と同じ事をしようと思ったが、二十年の間に体力的な差は大きく、思い通りにはならなかった。
 振り返ると忘れ去っている事も多いが、伝えておきたいと思う出来事も沢山有る。
 感動したり、心を痛めたり、普段出会わないユニークな場面を見つけた時の記憶等、心の抽斗(ひきだし)に仕舞ったままでいる。

 ある時遠くに見える冬山を眺めていた。
 雑木の多いその山頂には裸の木々がお互いに申し合わせたように、一直線になって横並びしている。
 素のままの枝の姿が一層冷たさを感じさせた。木々の間を通して見える向こう側の空の色、風が教える雲の流れ、小さな枝の透き間にも瞬時にして幾枚もの絵が出来上がる。
《私が絵筆で表現出来るのなら……》と歯痒い思いをした。

 記憶に留めている事も、画けない景色の姿も、鉛筆一本と消しゴム一つで幾度となく書いたり消したり仕乍(しなが)ら「《文章の上での絵》を描きたい、色を加えたい」とそう思いつも、表現方法を習おうと文章教室へ行く事にした。それに付随して年令を考え、惚け防止の一端を荷ってくれれば……との願いも確かだ。
 一人分の料理作りは味気ない。
 つい数ヶ月前迄面倒に感じなかった事にも、気が付かないままでいる事がある。
 そのせいもあってか俎板(まないた)と包丁の小さな会話を聞いてしまった。
「冬の大根を切った御蔭で助かったよ。水分の程良さで悪かった切れ味が少し取り戻せたからね」
「同感だ! この間から君が上からぼくに強く伸し掛かってくるので、家人に早く研ぐように催促しろって云いたい処だったよ」
 この会話を直ぐに理解したのは私だ。
 小さな声も見つけよう。
『見つけたならどうするの? 勿論すぐに書くでしょう』
 こんな気力を保ちつつ、私らしい文章で綴ってゆければと思っている。





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