創るcollaboration
伊東 香代子

伊東 香代子
1950年生まれ

006

《手紙形式》

若き日の夢叶う

 晩秋の昼下がり、月に一度通う文章教室の松尾先生が「大阪デザイナー専門学校の学生さんとコラボをします」と発表されました。私はコラボ企画ということより『大阪デザイナー専門学校』と言う学校に私の心がザワザワと反応致しました。

 四十六年前、高校三年生の一学期の進路相談のとき、「美術大学もしくはデザイン専門学校へ進学したい」と決めていた私でした。
 中学生から町外れの絵画教室で、デッサンを習い高校になってからも通っていましたが、父の頭の中には「女が絵描きになるとはけしからん! 社会勉強の為、会社勤めをしながら花嫁修行をしなさい。そうすればいい所から良い縁談が来る」と、私の将来は進学どころではなく、結婚への道が出来ていました。
 父には逆らえず、就職科に編入しました。

 北九州工業地帯は、日本の製鉄を担う場所でしたが、まだ学問においては男尊女卑の空気漂う所でした。
 美大への進学は、泣く泣く諦めましたが、高校の美術クラブの顧問の先生の影響で、美術館巡りは、今も続けています。その先生は国語の教師でした。
「貴女は簡単に諦めることが出来るの?
 働きながら絵を描くことは出来るのよ。絵もいいけど、でも、貴女の作り話は、独断と偏見に満ちて、ユーモアたっぷりで面白いわよ」と、就職科に編入するときに先生が私に言われました。私は、テストの裏に、夢物語の話を落書きしていたのです。それを先生が読んでいたとは知りませんでした。
 そのときの私の心には、先生の言葉は刺激的なカンフル剤となりました。
 それからの私は読書にのめり込みました。
 二十五歳で結婚、子育てと忙しい日々でしたが、読書を続けました。
 四人の子育ても終わり、夫の両親を看取り、やっと自分の時間が持てると喜んだ矢先に、五十八歳の時、乳癌が見つかりました。しかし、早期発見で取り出した細胞は良性でした。
 ひと安心した私は、『話すように書く文章教室』の松尾先生に出会いました。
 ワクワク、ドキドキしながら嘘話(フィクション)を作り上げる楽しさと苦しさは、私にとりましては、至福(しふく)のときであります。
 固まった頭を柔らかく揉(も)み解(ほぐ)して、フル回転させ、油の切れた感性を読書の糧(かて)で、研ぎ澄ませ、一字、一字に人の心に届く言葉にする努力しています。
 六十四歳の私が若い皆様とコラボ企画が出来るとは、とても幸せです。
 どうぞ宜しくお願いします。





■ 第4回コンテンツに戻る ■



第一回CONTENTS
第二回CONTENTS
第三回CONTENTS
第四回CONTENTS
第五回CONTENTS