うさぎさん、見ていてね
長井 喜久子
私は現在、京都の太秦天神川(うずまさてんじんがわ)にある障害者の作業所で、週三回、ミシンを掛けている。
トートバッグ、巾着、ファスナーポーチ。
一枚の生地から、形あるものになった時の感動は、作っている者の醍醐味だ。
作業所に通い始めて三年半が経つが、十五年勤めてきた事務職からの転向に、最初は戸惑うことも多かった。職業用ミシンを、右半身麻痺の私が扱えるかどうかも分からなかったし、正直言って恐かった。四十半ばで今さらミシンなんて、という思いもあった。
けれど "為せば成る" "習うより慣れろ" の精神で、職業指導員の先生の下、左手でミシン本体を操作し、左足でフットコントローラーを踏んで、手作りの品を作ったり、洋服のリフォームなどを手掛けている。
そんな今日この頃、ふと、思い出すことがある。中学二年の三学期、家庭科の授業で長袖のパジャマを作った時のことだ。
それは、各自好きな生地を買い、パジャマを縫う課題だったのだが、私は生地選びから失敗した。
初めてのパジャマ作りにもかかわらず、白いうさぎが一列となって、格子模様の中に並んでいる柄を選んでしまったのだ。裁断のときは、出来上がりの方向を考えねばならず、縫製のときは、柄と柄がずれないようにしなければならなかった。しかも地色はあずき色、地味なことこの上ない。
皆は、明るい色の無地や全体が花柄などの生地で、スイスイと作業を進めていく。
私は自分の考えのなさを呪ったが、どう考えても、私の頭に花柄は浮かばなかっただろう。
結果、柄のあるパジャマの作り方として、皆の手本となるように、大方を先生に作ってもらったような形となった。
当然、出来上がったパジャマは巧く仕上がっていて、綿一〇〇%の肌触りも良かったから、二~三度は着用した。しかし私は釈然とせず、タンスの引出しの中に、それを隠すようにしまい込んだ。
あの時の思いは何だったのか。
やはり、自分で作れなかったという、後悔だと思う。少々ゆがんでいたとしても、仮に出来上がらなかったとしても、自分が作った、と思えたなら、納得できたかもしれない。
今は、あのパジャマに謝りたい気持ちで一杯だ。
「私が作らなくてごめんね」と。
そう思うのは、現在、京都市右京区役所で催される、福祉屋台で売る商品を作るまでになり、自信も芽生えてきたからだ。もの作りに対して、成長しているのだとも思う。私はそれを素直に喜び、感謝しよう。
そしてこれからも、自分の手で作品を作製していきたい。
私は、あの時の後悔した思いを忘れずに、今日もミシンを掛ける。
そんな今の私をきっとどこかで、あのパジャマの白うさぎ達が、ニコニコ微笑みながら、見守ってくれているだろう。