創るcollaboration 第5回コラボレーション企画
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天狗の御朱印(てんぐのごしゅいん)

島村 綾

 毎年、冬のよそ行きとして、白いショート丈のダウンジャケットを愛用している。十年ほど前に三万円弱という、私としては高い値段で買ったものだ。
 この白いダウンを着るたびに、私は鞍馬山(くらまやま)を思い出す。

 六年前の二月上旬、私は一人で京都にある『鞍馬山』へ行った。
 ここは、千手観音(せんじゅかんのん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、魔王尊(まおうそん)の三身を一体とした『尊天(そんてん)』を祀っている。一般的には牛若丸(うしわかまる)が修行をしたとか、天狗が住むとして有名な場所だ。

 魔王尊は、六五〇万年前に金星からやってきた宇宙神霊で、永遠の命を持った存在だ、という漫画のような言い伝えがある。オカルト好きの私好みの場所に、一度は行かねばと思っていた。

 奈良県のJR郡山(こおりやま)駅から東福寺(とうふくじ)駅まで行き、そこから京阪(けいはん)電車で出町柳(でまちやなぎ)駅まで行く。さらに叡山(えいざん)電鉄に乗り換え鞍馬駅で降りる。約二時間の旅だ。

 その日の天気は良かったが、京都の山には、雪がしっかり残っていた。
南側から山を登ると、尊天を祀る『本殿金堂(ほんでんこんどう)』があった。私が目指す、魔王尊のみを祀る『奥の院魔王殿(おくのいんまおうでん)』は、貴船(きふね)神社につながる西側の『木の根道(きのねみち)』を下らなければいけない。
 木の根が大地を覆った景観の道だが、一面の雪で見えない。尻餅をつきながら、道に沿って設置された手すりを命綱に、私しかいない道を歩き続けること数十分。三十数年の人生はここで終わるのか、と何度か頭をよぎりながらも、魔王殿に着いた。
 さぞかし立派な魔王尊の像でもあるのかと思いきや、小さなベンチが十本並んだ簡素な拝殿と、その奥に小さなお堂があるだけの場所だった。
「魔王さんの姿は見えないのか」
 とすごく拍子抜けした。

 再び雪道を下り、車道へ出て、やっと人心地(ひとごこち)ついた。
 その瞬間、左胸を中心に真っ赤に染まったダウンを見て、びっくりした。
 この日の私は、豚革の赤い手袋をはめていた。革の染料が雪と汗で溶け、白いダウンに移ったのだ。
 帰ってクリーニングに出したが、赤い染料は落ちず、もう外に着ていける状態ではなくなった。
『捨てるしかないけど捨てたくない』
『なぜあの手袋をつけて行ったのか』
『なぜ私は鞍馬に行こうと思ったのか』
 鬱々と、後悔ばかりが心を支配した。

 捨てられないまま二年が経ち、普段使いにしようと決意した。
 気のせいか二年前より赤みが薄くなっていた。一冬越すと摩擦のせいか更に薄くなり、四年経った今ではすっかり消え、遂にはよそ行き用に返り咲いた。
 鞍馬に行った記念に、天狗がスタンプをくれたのだと、今は思っている。

 現在、私の贅肉がかつてないほど厚みを増し、サイズ的な問題で着られなくなる危機に瀕している。

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