姑の葬儀は嫁の祭り?
西森 郁代
今から15年前、私が47歳の時、「あんなに恥ずかしい思いはした事がない」という事があった。
それは81歳だった姑の葬儀の日に起きた。
姑が亡くなり、仮通夜から始まった法要も、告別式初七日も終え、一段落したので女ばかりの私の職場に挨拶に行った時のことだ。
私が参列のお礼を言うと、上司がニヤニヤしながらこう言ったのだ。
「西森さん、きーつい姑さん亡くなって嬉しいかしらんけど、喪服の袖口からチラチラ、ピンクの長襦袢見えてたわ。あれはあんたの気持ちやなあって、みんなで話してたのよ」
『えっ! うっそー』
知らなかった。気がつかなかった……。
思い出してみると、姑の亡骸が入所していた老人ホームから、自宅に帰って来た時から、私は身体がいくつあっても足りないほど忙しかった。
葬儀屋や僧侶との打ち合せ、弔問の人への挨拶。殆どはつれあいがしてくれたが、嫁の私がしなければいけないことは山ほどあった。家の片付け、参列者の食事接待の段取り、何日も泊まる親戚の布団、食事の準備……。
次から次に用事があった。
親戚の女の人が着る喪服の手配もその一つだった。
「えーっと、いとこの分が三枚、おばさんが二人来てくれるけど、二人とも喪服の用意はしてくるかしら? 電話して確認をと。それから……」
この時、私の喪服も一緒に貸衣装屋さんに依頼した。実家の母が持たせてくれた自分の喪服を和タンスから出す時間がなかったのだ。
しかし、私は直接肌にまとう長襦袢だけは貸し衣装に抵抗があり、自分のを着ようと思った
そして、ひっくり返っている部屋の和タンスから、長襦袢を出した。その間にも、私を呼ぶ声がして慌てていた。だから、畳紙の中にある長襦袢の色を確かめる時間がなかった。それは覚えている。
でも、着付けの人も義妹も何も言わなかったではないか。
挨拶に行った職場からの帰り道、『ピンクがチラチラ』という言葉が頭から離れず、胸がドキドキした。
つれあいの職場からもたくさん参列してくれたし、近所の人も来てくれた。あの人達も見たのかと思うと恥ずかしくて消えてしまいたいほどだった。
それから2年後、義妹が亡くなった時は、何度も確かめ姑の葬儀の失敗はしなかった。あんな思いは二度としたくない。
娘が嫁ぐので嫁入り支度に喪服を作った。 呉服屋さんが着物や長襦袢、帯を広げるのを見て、『ピンクがチラチラ』を思い出した。
私の失敗談を娘に話しておこう。
慌て者の私には似ていないが、そこは母と娘だ。同じ失敗をしないとも限らない。
呆れるか、笑いだすか、「お母さんとは違う」と言うのかどっちだろう。