創るcollaboration 第5回コラボレーション企画
016

MAHALO(マハロ:ありがとう)

佐野 浩子

 現在52才の私は、今から35年ほど前、18才からの2年間、ハワイに住んでいた。

 今もそうなのかは知らないが、当時は長期滞在の外国人には、アメリカ人の身元引受人がいなければ、ビザが下(お)りにくかったのだ。
 ハワイに知り合いなどいない私は、親の友人の仕事関係の知人に身元引受人に成ってもらい、無事ハワイへ行ける事に成った。
 そして私はハワイに着き、私の身元引受人に成ってくれた、日系三世のジョージさん・ミエコさん夫妻と初めて会うのだった。
 ジョージさん達に、ウェルカムパーティーを開いてもらったのだが、そこで紹介してもらったジョージさんの妹夫婦のグラディスさんとダニエルさんが私を気にいってくださり、以来、交流を重ね、私を本当の娘のように、とにかく可愛がってもらったのだった。

 私が日本に帰国しても、ずーっと付き合いは続いているのである。
 ダニエルさんの口ぐせ
「ボクラハ、ヒロコノハワイノオジィチャン、オバアチャンダカラ」
 片言の日本語で私にそう言ってくれていた。
 その彼も6年前に天に召された。

 3年前、久しぶりにハワイに行った。
 83才に成ったグラディスさんのオアフ島のカネオへという所にある自宅に伺(うかが)ったのだが、家の庭にあったたくさんのパパイヤの木が、全部なぎ倒されているではないか。
「ゼンブ、台風デ、タオレタノヨ」
 凄(すさ)まじい爪痕である。
 しかし、なぎ倒され地面に横たわる木から青々としたパパイヤの実がなっていた。
―― すごい生命力やな、パパイヤ。
 ダニエルさんの遺灰の入った壺が、ピアノの上に置かれている。
 グラディスさんが言う。
「私ガ死ンダラ一緒ニオ墓ニ入ルノヨ」
 それまではダニエルさん、ここに居るのだ。

 このグラディスさんに私は、彼女の若い時に着ていた手作りのムームーを、ハワイを訪れる度、いただいている。
 独身の頃の私は、しょっちゅうハワイに行っていたので、我が家には、たくさんのグラディスさんのムームーがある。
 夏になると、私はそのムームーを家着でよく着ている。
 コットンで出来た普段着使用のムームーは着心地良く、風呂上りにフワリ、スポンと被(かぶ)り着る。
 3年前に訪問した時も、いただいた。
 別れ際、グラディスさんが言った。
「2、3年ウチニ帰ッテ来ナサイ。ジャナキャ、コレハ形見ニナルノヨ」
 なんか、思い出したら泣きたくなった。

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